マニフェスト

MANIFESTO
金山直樹

SAKURA法学舎所長

金山 直樹

Naoki Kanayama

法は、完成された固定的な論理体系ではなく、社会の変化に応じて動的に発展し、また発展すべきものです。どの時代においても、不変の法は存在しません。変動し、発展することこそが、法の生命だからです。ホームズ(Oliver Wendell Holmes, Jr. (1841-1935))は、その古典的著作 『コモンロー』(『The Common Law』) において、発展を止めた法は「死せる法」であるという趣旨のことを述べています。彼はまた、同書において、法の生命は論理ではなく経験であるとも説いています。この言葉は、法が抽象的な論理のみによって完結するものではなく、社会の現実、人々の営み、歴史の積み重ね、そして紛争の現場における経験によって鍛えられていくものであることを示しています。ホームズは、その徹底したリアリズムと経験主義に基づき、法の歴史性、すなわち法が社会との相関関係において必然的に発展していくものであることを強調したのです。

このようにして、時の経過と共に「法の保管所」(モンテスキュー、ポルタリス)が形成されます。「法の保管所」の存在は、法的安定性や予測可能性に寄与しますので、その存在は法秩序にとって不可欠です。そこに収められた判例や学説の蓄積──司法試験で問われる事柄──を尊重することは、法律家にとって当然の責務です。しかし、それらは決して固定的でなく、法の発展を阻止するためのものでもありません。新たな問題の解決のためには、過去の蓄積の意味と限界を理解した上で、これまで十分に説明されてこなかった現実に光を当てなければなりません。そのためには、既存の枠組みを鍛え直し、「法の保管所」の中身を更新しなければなりません。そこに、法の命が発露するのです。法が社会の現実に目を閉ざして、既成の理論の中に閉じこもるならば、人々の信頼に応えることはができません。法は、生きた社会の中で試され、必要に応じて発展していくことによってのみ、生き続けることができるのです。

実際、法律家は、日々突き付けられる新たな課題と向き合わなければなりません。その課題は、社会構造の変化、社会関係の変容、経済活動の複雑化、国際取引の進展、情報技術の発達、そして個人と組織との力関係の変化によってもたらされます。かつては想定されていなかった取引関係、責任構造、損害の発生形態、権利侵害の様相が、具体的な紛争として私たちの前に現れます。そのような未知の問題に対して、法がどれだけダイナミックに対応することができるのか、それこそが、今日の法律家に課題なのです。

ところが、法実務においては、しばしば既存の判例と学説がすべてであるかのように扱われ、その線上に準備書面が書かれ、それに沿った判決が下されることが少なくありません。もちろん、判例や学説を軽視することは許されません。裁判実務において、過去の判断の蓄積を正確に理解し、その射程を見極めることは、法律家の基本的な能力です。しかし、既存の判例と学説を確認することだけで思考を終えてしまうならば、法は社会現実に対して非力なものになってしまいます。現実の紛争は、常に既存の類型の中に整然と収まるわけではありません。むしろ、新たな問題ほど、従来の法理では十分に捉えきれない形で現れます。法律家は、その現実に正面から向き合わなければなりません。

新たな問題に対しては、本来であれば、立法によって対処すべきでしょう。社会の変化に応じて制度を整備し、明確なルールを設けることは、立法の重要な役割だからです。現に、ドイツやフランスにおいては、基本法たる民法の改正さえ、頻繁に行われています。しかし、すべての問題に対して立法によって対応できるわけではなく、また、個別の紛争において生じる新しい問題に対して、直ちに的確な解決を与えることもできません。とくに日本においては、債権法の改正の結果を見ても分かる通り、ドイツやフランスと比べて、立法による法の更新には極めて慎重であり、むしろ消極的であることは否めません。だとすれば、法の発展のイニシャティブを立法に期待することは現実的ではないでしょうこのような事情から、裁判所が具体的事件を通じて法を発展させるよう、法律家が促していかなければならないのです。

そのためには、法実務家自身が、単にこれまでの判決の動向を探るだけでなく、法の発展に向けた新たな理論的枠組みを提示しなければなりません。裁判所を説得するためには、感覚的な正義論だけでは不十分だからです。既存の法理を深く理解し、その限界を見極め、その上で、条文、判例、学説、制度趣旨、社会的実態を踏まえた説得的な構成を示す必要があります。目の前の事件において依頼者を救済することが、将来の法の発展に資する理論を構築することに直結する営みなのです。困難な事件の中にこそ、法の発展の契機が隠れているのです。その契機を見逃さず、積極的に法の変動を促し、その発展の方向性を先導することは、法実務家に与えられた名誉ある使命であると考えます。

SAKURA法学舎は、法に新たな命を吹き込むための「武器」を創造し、また「戦術」を練るための戦略センターです。ここでいう「武器」とは、単なる技巧的な主張や便宜的な訴訟戦略を意味するものではありません。社会の現実を的確に捉え、既存の法理の限界を見極め、裁判所に届く言葉で新たな法的構成を示すための理論そのものを意味します。また、「戦術」とは、個別事件における勝敗のみを意識した手段ではなく、具体的紛争を通じて、いかに法を動かし、いかに正義に適った判断を導き、いかに将来の法の発展につなげていくかという実践的な技を意味します。何よりも、上告受理申立の壁を越えることのできる戦術を練らなければなりません。SAKURA法学舎は、そのような理論と実践を鍛える場でありたいのです。

SAKURA法学舎では、その活動の一環として、定期的にフォーラムやセミナーを開催する予定です。これらは、単なる知識の伝達の場でも講演会でもありません。実務の最前線で新たな問題に直面する企業の方々、裁判実務に関わる知見を有する方々、そして法理論を深く探究する研究者が、弁護士と共に、それぞれの経験と専門性を持ち寄り、真剣に議論するための場です。そこでの目標は、当然ですが、「法の保管所」を確認することにとどまりません。概念を鍛え、理論を磨き、実務に耐える法的構成へと高めていくことだからです。法の発展は、抽象的な理念だけでは実現しません。具体的な事件、厳密な理論、そして率直な討論とが結びつくところに、初めて新たな法発展の可能性が生まれるのでます。

この目標を達成するため、SAKURA法学舎では、SAKURA法学舎同人 (Cast members) という制度を設けます。これによって、企業の方々、他の事務所に所属する弁護士、裁判実務に深い知見を有する方々、そして大学研究者に、広く門戸が開かれます。法の発展は、一つの立場、一つの専門、一つの組織の中だけで成し遂げられるものではありません。現場で紛争を担う者、裁判実務の思考に通じる者、理論を体系的に掘り下げる者が、それぞれの立場を尊重しながらも、遠慮なく議論を交わすことによって、はじめて強靱な法理が生まれます。同人が定期的に集まり、互いに切磋琢磨し、真剣にな議論を重ねる場として、SAKURA法学舎を育てていきたいと願っています。

どのようなテーマに挑戦するのか、またいかなるアプローチを採るのかは、それぞれの同人の任意に委ねられます。現実の事件を処理する際に各人が自ら感じ取った違和感、既存の法理では説明しきれない問題、不十分な問いかけ、要するに現場から始めたいのです。国際取引、仲裁、契約、責任、損害、企業活動、消費者取引、専門家の責任、民事手続、比較法その他、取り組むべき課題は多岐にわたります。大切なのは、分野の名称ではありません。既存の法理で本当に正義が実現されているのか、現実の不公正を十分に捉えきれているのか、そして、より良い法的構成を示すことができるのかという課題に挑戦することです。

私自身は、国際取引や仲裁と並んで、以前から、現代社会における契約の名を借りた搾取にどう対処すべきかという課題意識を持っています。契約は、本来、当事者の意思に基づいて権利義務を形成し、取引の安定と自由を支える重要な制度です。しかし、現実には、契約という形式があることによって、かえって著しい不公正が覆い隠されることがあります。当事者間の公平性を著しく損なう契約、具体的には、当事者の一方に一切のリスクと責任を押しつけ、他方当事者の利益ばかりを図る契約が存在します。そのような契約を、形式上、合意があるという理由だけでそのまま承認してよいのか。そこにこそ、現代の契約法が正面から向き合うべき問題があります。

このような非対称な契約構造に、法はどのように対処することができるのでしょうか。契約自由の原則は、重要な原則です。しかし、それは強い者が弱い者に不利益を押しつける自由を保障するものであってはなりません。情報、交渉力、専門性、資金力、取引継続への依存度に大きな差がある当事者間では、契約書上は合意があるように見えても、その実質においては、一方当事者が著しく不利な条件を受け入れざるを得ない場合があります。そのような場面で、法が形式だけを見て実質を見ないのであれば、法は正義を実現する力を失います。契約の拘束力を尊重しながらも、その背後にある不均衡と不公正をいかに捉え、どのようにして正義を実現するのかが問われています。

私の提唱する契約締結補助者の理論は、そのための一つの処方箋です。現代の取引において、契約は、当事者本人同士の単純な意思表示だけで成立するとは限りません。契約締結の過程には、助言者、仲介者、専門家、取引関係者その他の者が関与し、当事者の判断形成に影響を及ぼすことがあります。そのような者は最終的に締結する契約の当事者にはならないため、その違法行為を契約相手方に帰責することが難しいのです。そこで、契約締結補助者の理論は、契約締結補助者の違法行為を契約相手方に帰責することのできる枠組みを提示し、より正義に適った責任構造を構想しているのです。

現代の諸課題に直面する我々が、いかなる法理を用いて正義を実現するのか。明日の法を共に構想しようではありませんか。それは、個別の依頼者の抱える問題を解決するのみならず、民法その他の基本法理そのものを鍛え直し、広く被害者の救済と取引の公正を実現する新たな理論を構築する試みです。容易な作業ではありません。既存の判例や学説の射程を正確に読み解き、その限界を見極め、どこに理論的な突破口があるのかを探らなければなりません。裁判所に受け入れられるだけの説得力を備え、同時に、学問的検討にも耐え得る構成でなければなりません。しかし、まさにその困難さの中に、法実務の最も知的で創造的な魅力があります。

SAKURA法学舎は、何よりも、既存の法理では解決できない問題を発掘する場です。問題は、常に明確な名称を与えられた形で現れるわけではありません。多くの場合、それは現場の違和感として現れます。なぜこの被害が救済されないのか。なぜこの不利益が法的に十分評価されないのか。なぜこの責任の所在が曖昧なまま残されているのか。そうした問いを軽視せず、同人間で共有することが出発点です。その上で、全員で解決のための理論を模索したいと願っております。異なる経験と専門性を有する者が集まり、一つの問題を多角的に検討することによって、個人の思索だけでは到達し得ない視野が開かれるはずです。

SAKURA法学舎のプログラムの中にフォーラムという名称の研究会を予定しているのは、現場の違和感を受け止め、何よりも討論を通じて新たな可能性を共に模索したからです。討論とは、単に意見を述べ合うことではありません。自らの考えを他者の批判にさらし、前提を問い直し、概念を磨き、主張の弱点を明らかにし、それでもなお維持し得る理論を見出すための厳しい営みです。法の発展に資する理論は、思いつきだけで生まれるものではありません。事件の事実を見抜く力、法理を構成する力、制度全体を見渡す力、裁判所を説得する力が、討論を通じて鍛えられることによって、はじめて実務に耐える理論となります。SAKURA法学舎は、そのような真剣かつ活発な議論の場となることを目指します。

SAKURA法学舎は、依頼者のために戦うとともに、法そのものをより良いものへと発展させることを志します。これは、単なる法理論と法実務の架橋や、法律実務と法理論のさらなる融合といった言葉に尽きるものではありません。もちろん、理論と実務が相互に学び合うことは重要です。しかし、SAKURA法学舎が目指すのは、それにとどまりません。むしろ、既存の法理論や判例の枠組みでは正義を十分に実現できない場面を正面から見据え、そのような場面において、法自体をより良く、より正義に適ったものへと改良していくことです。

法は、人々の現実問題を解決するために存在します。依頼者が抱える具体的な苦しみや不利益を前にして、既存の理論では救済が難しいというだけで、法律家が依頼者を見殺しにしてよいはずはありません。そこから先にあるべき風景を思い描いて進むことにこそ、法律家の醍醐味責任があります。条文をいかに読み、判例の射程をどのように捉え、学説をいかなる方向に発展させて、新たな理論を提示するのか。その努力の積み重ねが、個別事件の解決を超えて、法そのものを少しずつ前進させていくのだと思います。

以上が、SAKURA法学舎の目指すところです。現場の最前線からの問題提起を受けて、同人同士が互いに切磋琢磨しながら、既存の判例や学説を踏まえ、必要に応じてそれを乗り越え、法の発展に貢献できる場へと成長していくことを期待しています。このような営みを通じて、SAKURA法学舎が依頼者の期待に応えるのみならず、今後の法の発展に微力ながらも貢献していくことができればと願っております。

SAKURA法学舎所長

弁護士 金山直樹