COLUMN
2026.10.09
SAKURA法律事務所は、このたび、当事務所所属のパラリーガルであり、警視庁の組織犯罪対策部門において十数年間にわたり捜査実務に携わってきた井上慎也によるコラム「マネー・ローンダリング対策は金融機関だけの問題ではない――元警視庁捜査員の視点から考える企業取引のリスク管理」を公開いたしました。
井上は、2026年9月1日に当事務所へ入所するまで、マネー・ローンダリング事犯をはじめとする組織犯罪の捜査に従事し、金融機関や民間企業との連携を通じて、資金移動の実態と企業が直面する取引上のリスクに接してきました。本コラムでは、その経験を出発点として、犯罪収益の移転に通常の企業取引や法人名義口座が悪用され得ること、2026年7月施行の犯罪収益移転防止法改正の意義、取引先の確認及び不自然な決済への対応について、実務の視点から考察しています。
井上は、2005年に警視庁へ入庁し、2026年6月に退職するまで約21年間、地域警察、機動隊、組織犯罪対策及び犯罪収益対策の各業務に従事してきました。2018年には警視庁組織犯罪対策部のマネロン対策室に配属され、2024年4月からは金融庁総合政策局リスク分析総括課金融犯罪対策室へ出向しました。金融庁では、金融機関のマネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関する検査と、業界団体向けに公表される「疑わしい取引の参考事例」の改定業務に携わっています。捜査の現場と金融行政における検査業務の双方を経験してきたことは、企業の取引管理やリスク判断を考える際の、井上の大きな強みの一つです。
マネー・ローンダリング対策は、金融機関や法律上の特定事業者だけが意識すれば足りる問題ではありません。ただし、法律上の取引時確認、記録保存及び疑わしい取引の届出等の具体的義務は、事業者の類型や対象取引によって異なります。本稿ではその区別を明確にしながら、一般企業にとっても重要となる予防的なリスク管理の在り方を紹介します。以下、コラム全文を掲載いたします。
元警視庁捜査員の視点から考える企業取引のリスク管理と2026年犯罪収益移転防止法改正
執筆 井上 慎也 | SAKURA法律事務所 パラリーガル(元警視庁捜査員)
はじめまして。2026年9月1日よりSAKURA法律事務所でパラリーガルとして勤務しております、井上慎也と申します。今後、私が警視庁の捜査現場で培ってきた経験をもとに、企業の皆様が日常の取引や経営判断の中で注意すべきリスクについて、継続して発信してまいります。初回となる本稿では、その自己紹介を兼ねて、マネー・ローンダリング対策を取り上げたいと思います。
私は警視庁の刑事として組織犯罪対策部門に所属し、十数年間にわたり、マネー・ローンダリング事犯、来日外国人が関係する組織犯罪、暴力団犯罪などの捜査に携わってきました。捜査の現場では、表面上は一見ありふれた入出金や契約に見えるものが、複数の口座や事業者を経由することで、全体として犯罪収益の移転につながっている場面があります。個々の取引だけを切り取って見ていると、その違和感に気付きにくいこともありました。
警視庁に入庁したのは2005年です。北沢警察署の地域課で警察官としての基礎を学び、その後は第三機動隊に勤務しました。東日本大震災の際には被災地への災害派遣を経験し、救助活動や防犯活動にも従事しました。組織犯罪対策の捜査部門に移ってからは、杉並警察署での来日外国人が関係する犯罪の捜査、志村警察署での薬物・銃器事件の捜査、麻布警察署での組織犯罪捜査などに携わり、相手方の供述だけでなく、行動、関係者とのつながり、資金の流れを丹念に確認することの重要性を学びました。
特に印象深いのは、金融機関や民間企業の皆様と直接対話し、銀行における取引モニタリング、外国為替送金に伴う確認、マネー・ローンダリングの疑いが生じた取引に対する金融機関の対応など、捜査機関とは異なる立場からリスクに向き合う実務に接してきたことです。金融機関の確認や照会は、利用者からすると手間のかかる手続に見えるかもしれません。しかし、取引の背景を理解し、資金の流れに説明がつくかを確かめる営みは、犯罪組織による金融サービスの悪用を防ぐうえで重要な役割を果たしています。
2018年8月に警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策総務課のマネロン対策室に配属されてからは、特に犯罪収益の移転に関する捜査実務に深く携わるようになりました。2021年には警部補に昇任し、麻布警察署組織犯罪対策課で捜査担当係長を務めました。そして2024年4月には、警視庁から金融庁総合政策局リスク分析総括課金融犯罪対策室へ出向し、金融機関に対するマネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策の検査に、検査官として従事しました。
金融庁での業務では、金融機関が監督上のガイドラインを踏まえてどのような管理態勢を整備し、実際の取引や顧客リスクをどのように把握しているのかを確認する機会を得ました。また、業界団体向けに公表されている「疑わしい取引の参考事例」の改定業務にも携わりました。捜査機関として犯罪収益の流れを追う視点と、金融機関の側に立って犯罪に悪用されにくい管理態勢の実効性を確認する視点の双方に接したことは、私にとって貴重な経験です。2026年4月には警視庁刑事部犯罪収益対策課に配属され、同年6月に警視庁を退職しました。現在は、この経験を法律事務所における予防法務の支援に生かしていきたいと考えています。
警察には犯罪の未然防止と摘発の双方の役割があり、法律事務所にも紛争発生後の対応と予防法務の双方の役割があります。そのうえで、捜査現場で得た問題意識を企業の皆様が不正な取引に巻き込まれる前の段階で役立てたいという思いは、私が法律事務所で働くことを選んだ大きな理由の一つです。現在は弁護士の指導・監督の下で、事実関係や公開情報の整理、取引上のリスクを検討するための資料収集などを通じ、当事務所の法律業務を支えています。
マネー・ローンダリングとは、犯罪によって得られた収益について、取引や資金移動等を通じてその出所、帰属又は移転経路を分かりにくくし、犯罪収益であることの発見を困難にする行為をいいます。かつては海外送金や大規模な組織犯罪と結び付けて語られることが多かった印象がありますが、その入口は必ずしも特別な取引とは限りません。商品代金、業務委託報酬、コンサルティング費用、立替金の精算など、企業が日常的に取り扱う名目にも注意を向ける必要があります。
例えば、取引先から、実際の役務の内容や成果物が明らかでないまま高額な業務委託契約を持ち掛けられ、自社名義の口座に入金された資金を短期間で別の先へ送金するよう求められる場合を考えてみてください。また、契約相手方とは異なる第三者名義の口座への支払を突然指示されたり、通常の事業規模や取引慣行に照らして不自然な現金決済を求められたりすることも、確認を要する事情になり得ます。これらはあくまで注意すべき取引の例であって、それだけでマネー・ローンダリングや違法行為が成立すると断定できるものではありません。取引の合理的な理由を確認し、説明と資料の整合性を慎重に見極めることが重要です。
警察庁が公表した「令和7年犯罪収益移転危険度調査書」は、法人や法人名義の預貯金口座等が犯罪収益の移転に悪用される状況を分析しています。同調査書は、犯罪収益が複数の口座を短時間で移動し、最終的に外国送金等につながる事例や、正規の物品取引に見える支払を介して犯罪収益が移動する事例も取り上げています。このことは、法人という外形や契約書・請求書の存在だけで、当該資金の性質や取引の適切性が保証されるわけではないことを示しています。
私が捜査に携わる中でも、重要だと感じてきたのは、個々の書類が整っているかという点だけではなく、取引の全体像に一貫した説明がつくかということでした。誰が実際に事業を営み、誰が代金を負担し、誰が経済的な利益を得て、なぜその口座を経由する必要があるのか。こうした問いを丁寧にたどることによって初めて、形式上は自然に見える取引の中に潜む不自然さが浮かび上がる場合があります。
2026年6月に成立・公布された犯罪による収益の移転防止に関する法律の改正により、同年7月10日から、預貯金通帳等の不正譲渡などに対する罰則が引き上げられるとともに、一定の「送金犯罪」に関する罰則が新設されました。警察庁は、他人から預貯金口座を譲り受ける従来の手口に加え、口座名義人自身に送金をさせる形で資金を移転する手口がみられるようになったことを、その背景として説明しています。
いわゆる「送金バイト」と呼ばれることもある手口では、SNS等を通じて、本人が管理する口座への入金を受け、報酬を差し引いて別の口座へ送金する行為が求められることがあります。口座を他人に売却しないまま、口座名義人自身を資金移転の担い手とする点が特徴です。警察庁は、こうした行為を安易なアルバイトとして捉えさせないため、基本的に「送金犯罪」という呼称を用いています。改正法は、正当な理由なく有償で一定の送金行為を依頼し、又はこれに応じて実行するなどの行為を、法定の要件の下で処罰対象としています。通常の商取引や正当な送金代行が一律に犯罪になるわけではありません。
同じ改正では、いわゆる架空名義口座を用いた新たな措置も設けられましたが、この部分は7月10日に一律に施行されたものではなく、別途、政令で定められる施行日が予定されています。法改正の内容を企業内で共有する際にも、既に施行された罰則と施行時期の異なる制度を混同しないことが必要です。
こうした改正から読み取れるのは、マネー・ローンダリングの対策が、単に「口座を売らない」という注意にとどまらなくなったという点です。他人から預かった資金をなぜ自分の口座で受け取り、なぜ別の先へ送るのかを理解しないまま送金に協力することが、重大な問題につながり得ます。企業においても、自社口座が本来の事業活動と無関係な資金の通過点となっていないか、取引の実体と資金の流れが一致しているかを検証する姿勢が不可欠です。
もっとも、マネー・ローンダリング対策の重要性を述べる際には、法律上の義務の範囲を正確に理解しなければなりません。犯罪収益移転防止法は、金融機関等に加え、一定のファイナンスリース事業者、クレジットカード事業者、宅地建物取引業者等を「特定事業者」と位置付け、法令の定める対象業務及び取引について、取引時確認、記録の作成・保存、疑わしい取引の届出等の措置を求めています。ただし、適用される義務は事業類型や取引内容によって異なり、全ての一般企業に、同一の法定確認義務や届出義務が課されるわけではありません。
金融庁も、金融機関等に対するマネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策のガイドラインを整備し、2026年3月31日には改正後のガイドライン及び関連FAQを適用しました。これは、金融機関等が顧客の取引内容、資金移動の状況、取引目的の合理性などを継続的に把握する姿勢を重視するものです。金融機関との日常的な取引を行う企業にとっても、金融機関から入出金の背景資料や取引先情報について照会を受けることがあるのは、こうした制度・監督上の要請と無関係ではありません。
一般の事業会社であっても、犯罪収益の移転に利用されないように注意すること、反社会的勢力との関係を適切に確認すること、不自然な送金や決済条件について合理的な説明を求めることには、経営管理上の重要な意味があります。たとえ当該企業が犯罪収益移転防止法上の特定事業者に当たらないとしても、取引先の実在性、事業内容、実質的な支配関係、契約の目的と代金の流れを把握することは、取引上のリスクを低減するために有効です。
取引が疑われたからといって、直ちに企業が犯罪に加担したことになるわけではありませんし、当然に全ての銀行口座が凍結されるわけでもありません。しかし、金融機関による確認のために取引が制約される場合や、取引関係の継続について慎重な判断がなされる場合には、資金繰りや信用に影響するおそれがあります。だからこそ、疑義が生じてから慌てて説明を整えるのではなく、日頃から取引の根拠資料を残し、社内の説明責任を果たせる態勢を整えておくことが重要だと考えます。
企業の取引管理で大切なのは、疑いのある取引を機械的に排除することではなく、事実を確認する手順を持つことです。契約の相手方と入金・送金先の名義が異なる場合には、その理由や法律関係を確認する必要があります。役務提供の実体が明らかでない高額な請求がある場合には、契約目的、成果物、価格設定、社内決裁の経緯を確かめることが求められます。急な送金先変更、多段階の資金移動、通常とは異なる現金決済を求められた場合も、先方の説明をそのまま受け入れず、客観的な資料との整合性を検討することが大切です。
こうした確認は、営業部門だけに任せれば足りるものではありません。経理・財務部門は実際の資金の動きを把握し、法務・コンプライアンス部門は契約条件や取引上のリスクを検討し、必要に応じて経営陣が取引の継続可否を判断するという、部門横断的な対応が重要になります。違和感を覚えた担当者が声を上げやすい報告経路を設け、確認した資料、説明内容、判断の理由を記録しておけば、後に金融機関や関係当局から照会を受けた際にも、取引の経緯を正確に説明しやすくなります。
すでに不自然な資金移動が発生している場合には、関係資料や連絡記録の保全を優先し、法的義務や契約上の責任、取引先及び金融機関への対応を慎重に検討する必要があります。事実関係が十分に確認できない段階で、相手方を犯罪者と決め付けたり、担当者の独断で一方的な措置を講じたりすることは、別の紛争を招く可能性があります。実際の対応は、緊急性、資金移動の継続可能性、関係法令、契約内容等を踏まえ、弁護士その他適切な専門家と連携して判断することが望まれます。
このような検討は、反社会的勢力の該当性を確認する、いわゆる反社チェックだけでは完結しません。反社チェックは重要な入口ですが、取引先の事業実体や実質的支配者の確認、資金移動の経済合理性の検討、契約書・請求書と入出金の突合せ、社内エスカレーションの仕組みまで含めて、初めて日常の事業活動に即した対策になります。外国との取引や非対面取引、暗号資産を介する決済等についても、取引の特徴に応じた確認が必要です。相手方の国籍などの属性だけで不正を推認するのではなく、実際の取引内容と客観的なリスクを見極めなければなりません。
マネー・ローンダリング対策は、犯罪を摘発するための制度であると同時に、健全な取引社会を維持するための仕組みでもあります。特に企業の立場では、思いがけない取引の疑義が金融機関との関係、取引先からの信用、従業員の安心、事業継続に影響する可能性を考える必要があります。問題が起きてから責任の所在を論じるだけではなく、問題が起こりにくい業務の流れをつくることが、経営上の合理的な選択だと思います。
私が捜査の現場で学んだのは、資金の流れを追う際には、派手な手口以上に、小さな説明の不整合を見落とさないことが重要だということでした。会社の口座を利用した決済、業務委託の名目、契約相手方と支払先との関係など、一つ一つは日常的な出来事であっても、そのつながりを丁寧に見ていくことに意味があります。このような捜査実務で培われた視点を、今度は企業が不必要な危険に巻き込まれないための予防的な支援に生かしていきたいと考えています。
SAKURA法律事務所では、弁護士が主体となり、企業の取引先審査、反社会的勢力との関係遮断、マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関する社内規程や対応フローの整備、契約・決済スキームの検討、不審な取引や金融機関からの照会への対応等について、企業の状況に応じた法的支援を行っています。私も元警視庁捜査員の経験を生かし、弁護士の指導・監督の下で、事実関係の把握や資料整理などを通じて、その支援に尽力してまいります。
マネー・ローンダリング対策は、形式的なリーガルチェックだけで終わるものではありません。会社の利益や資金を守るだけでなく、そこで働く従業員と取引先、そして長年積み上げてきた信用を守るためのリスクマネジメントです。取引の進め方に違和感がある場合、相手方から通常と異なる送金を求められた場合、金融機関から資金移動の説明を求められた場合には、問題が深刻化する前にご相談いただくことが重要です。私はこれからも、捜査の現場で感じてきたことを、企業の皆様にとって実際に役立つ言葉で発信してまいります。
井上慎也。2026年9月よりSAKURA法律事務所所属のパラリーガル。警視庁の組織犯罪対策部門において十数年間、マネー・ローンダリング事犯等の捜査に携わった経験を有する。現在は弁護士の指導・監督の下で、企業法務及びリスク管理に関する法律業務を補助している。本稿における捜査実務に関する記述は、本人の一般的な職務経験に基づくものであり、非公開の事件情報や捜査上の秘密を紹介するものではない。
2005年、大東文化大学法学部法律学科を卒業し、同年警視庁に入庁。地域警察及び第三機動隊での勤務を経て、杉並警察署では来日外国人が関係する犯罪の捜査、志村警察署では薬物・銃器事件の捜査等に従事した。東日本大震災に際しては災害派遣を経験し、被災地における救助・防犯活動にも携わった。2018年、警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策総務課マネロン対策室に配属。2021年に警部補へ昇任し、麻布警察署組織犯罪対策課において来日外国人が関係する犯罪の捜査を担当した。
2024年4月から金融庁総合政策局リスク分析総括課金融犯罪対策室へ出向。金融機関に対するマネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策の検査、金融庁ガイドラインへの対応状況の確認及び「疑わしい取引の参考事例」の改定業務に従事した。2026年4月には警視庁刑事部犯罪収益対策課に配属され、同年6月に退職。同年9月、SAKURA法律事務所にパラリーガルとして入所し、現在は弁護士の指導・監督の下で、企業のコンプライアンス及びリスク管理に関する案件の事実調査、公開情報の整理等を補助している。警察及び金融庁における職歴は過去の職務経験を示すものであり、本稿は各機関の公式見解を示すものではない。
マネー・ローンダリング対策、犯罪収益移転防止法への対応、取引先審査・反社チェック、契約や決済条件の見直し、不自然な入出金が判明した際の社内調査・金融機関対応等については、SAKURA法律事務所までお問い合わせください。ご相談は弁護士が担当し、事実関係及び適用法令を確認した上で個別に対応方針を検討いたします。
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以下はいずれも警察庁、金融庁又は政府の公表する一次資料です。2026年10月9日時点で確認できる法令・施行状況・行政資料に基づき記載しています。各資料名には原資料へのハイパーリンクを設定しており、クリックすると公式資料を確認できます。
警察庁「『送金犯罪』に関する罰則の創設について」(構成要件に関する説明資料)
警察庁「犯罪収益移転防止に関する年次報告書(令和7年)」概要版
金融庁「マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」2026年3月31日改正資料
e-Gov法令検索「犯罪による収益の移転防止に関する法律」(平成19年法律第22号)
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