コラム

COLUMN

2026.07.29

SAKURA法律事務所コラム 第1回 性被害訴訟の上告審に向けて

弁護士

パリ国際大学都市日本館前館長

慶應義塾大学名誉教授

金山 直樹

性被害訴訟との出会い

私は、大学を定年退職する前の2018年に弁護士登録をし、研究及び教育と並行して、弁護士としての実務に携わるようになりました。弁護士として最初に担当した事件は、性被害に関するものでした。事件を受任した当初、現実の裁判において依拠することのできる理論を求めて、関係する文献や裁判例を幅広く検討しました。しかし、当時の私が調べた限りでは、性被害の実態を適切に捉え、民事訴訟における主張として実際に用いることのできる理論が、十分に整備されているとはいえませんでした。

性行為の外形だけを見れば、被害者が明確に拒絶しなかったこと、加害者との連絡を続けていたこと、あるいは一見すると親密にも見える言葉を用いていたことから、同意があったとの評価に傾くことがあります。しかし、人は常に対等な関係の中で意思を形成し、自由にそれを表明できるわけではありません。職場における上下関係、指導者と被指導者との関係、経済的依存、社会的地位の差、相手方への畏怖、拒絶によって予想される不利益は、被害者の意思形成及び意思表明に重大な影響を与えます。これらを考慮するための理論が存在しないのであれば、自分で作るほかありません。私は、「ないのであれば、自分で作るしかない」と考えました。

そこで、まず、金山直樹「性行為と同意――格差構造下における自由と強制――」『法學研究』第92巻第9号1頁から47頁(2019年)を公表しました(、以下論文①)。続いて、性被害によって生じる損害の内容及び慰謝料の在り方を検討するため、同「性行為と損害賠償(一)――慰謝料の再構成に向けて――」『法學研究』第93巻第2号1頁から54頁(2020年)及び同「性行為と損害賠償(二・完)――慰謝料の再構成に向けて――」同巻第3号33頁から73頁(2020年)を公表しました。これらの論文はネットからダウンロードすることができます。

「格差構造下の自由と強制」という理論

論文①で扱ったのは、性行為を行った者の不法行為責任を判断するための要件論です。私は、性行為に対する同意を、自由な意思決定に基づく「真の同意」と、関係性や状況から生じる圧力の下で外形的に示された「強制同意」とに区別し、前者が存在しない限り、当該性行為は違法と評価され得るとの考え方を提示しました。そして、真の同意と強制同意のいずれに当たるかを判断するため、「格差構造下における自由と強制」という視点を導入しました。

性被害をめぐる同意は、あるか、ないかという二者択一だけで捉えられるものではありません。形式的には同意があるように見えても、その同意が、拒絶によって生じ得る不利益への恐れ、相手方との圧倒的な力の差、職場や所属先における地位の喪失への不安、あるいは相手を怒らせないようにして自分を守ろうとする防御的な心理から生じていることがあります。格差は抑圧を生み、抑圧は自由を奪います。したがって、被害者が加害者に迎合する態度を示したことや、外形上は親密に見える言動をしていたことだけから、真の同意があったと判断することはできません。

論文①では、社会的な格差構造を把握するに当たり、「経済的又は社会的関係上の地位」に着目すべきことを主張しました。職場における上司と部下、経営者と従業員、指導者と被指導者、専門的権限を有する者とその判断に従わざるを得ない者との間では、明示的な暴行や脅迫がなくても、拒絶の自由が実質的に奪われることがあります。性被害に対しては、刑事法と民事法が別々に対応するだけでは足りません。両者が問題意識を共有し、協働して被害の実態に向き合うことが必要であると考えました。

2023年刑法改正との関係

なお、後に、論文①は、2017年改正で設けられた強制性交等罪等の更なる見直しを審議した法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会において、資料として配布されたと聞いています。もっとも、論文①とその後の法改正との間に、直接の因果関係があると断定することはできません。

それでも、2023年の刑法改正により、不同意わいせつ罪及び不同意性交等罪が設けられ、私が論文①で提起した問題意識と方向を同じくする規律が明文化されたことには、強い共感を覚えました。

改正後の刑法176条1項8号は、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」を、被害者が「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」となる原因の一つとして掲げています。そして、そのような状態において性交等が行われた場合には、刑法177条の不同意性交等罪が成立し得るものとされています。法務省も、「社会的関係」には家庭、会社、学校を含む社会生活上の関係が広く含まれると説明しています。

これは、性犯罪の成立を、明示的な暴行又は脅迫の有無や、被害者が物理的に抵抗したか否かだけで判断するのではなく、被害者が置かれた関係性、影響力及び不利益への憂慮を含めて評価しようとするものです。論文①で民事法の立場から示した「格差構造下における自由と強制」という問題意識と、改正刑法の方向性とが、ここで大きく重なることになりました。現実の被害に応答するために新たな規律を設けた刑事法制のフットワークには、率直に感心しています。

現在の上告審事件

私は、2022年秋、別の性被害事件を受任しました。ところが、全く予期していなかったことに、翌2023年4月から、パリ国際大学都市日本館の館長に就任することとなりました。そのため、この性被害事件については、早稲田大学で私のゼミに所属していた弁護士に、その後の訴訟対応を委ねました。

それからパリで約3年を過ごし、2026年3月31日をもって館長職を退任して帰国しました。その間も、当該事件がどのような経過をたどっているのかは、常に気になっていました。帰国後に確認したところ、既に第一審では原告の請求が退けられ、間もなく控訴審判決が言い渡される段階に至っていました。そして先の5月、控訴棄却判決が言い渡されました。

守秘義務に配慮し、事案の概要に限って述べると、本件は、職場における指導的立場の者から、約半年間にわたり性交による被害を受け続けたと原告が主張する事件です。当事者間には、約3,500通に及ぶLINEのやり取りが残されており、その中には、被害者が加害者に対して日々迎合的な文面を送っていたことを示す記録が含まれていました。

控訴審判決は、これらのやり取りを重視し、被害者が加害者に対して「恋愛感情があったことを自認していた」とまで認定しました。その上で、性行為について被害者の同意が存在したとの判断を示したのです。

しかし、被害者が加害者に迎合する言葉を送っていたことと、個々の性行為について自由な意思に基づく同意が存在したこととは、同一ではありません。継続的な指導関係の中で、相手方の意向に逆らうことができなかった可能性、拒絶による職務上又は人間関係上の不利益を懸念していた可能性、相手を刺激せず、自分の立場や生活を守るために、外形上は親密な態度を示していた可能性を検討する必要があります。

また、仮に相手方に対する何らかの好意や恋愛感情が存在していたとしても、そのことによって、将来にわたる包括的な性行為への同意が与えられるわけではありません。恋愛感情の有無と、特定の日時、場所及び状況における個別の性行為に対する同意の有無とは、法的に区別して検討されなければなりません。交際関係や好意が存在する当事者間であっても、同意のない性行為が許されないものであることはいうまでもありません。

私は、パリへの赴任により、結果として、途中でこの事件の依頼者を放り出したような負い目を感じていました。そのため、控訴審の敗訴判決後、本件について、ボランティアとして上告及び上告受理申立ての手続を引き受けることとしました。

世の中には、性加害者に対して明確に「ノー」と言うことのできない被害者が一定数存在します。予想外の事態に直面して恐怖し、身体が動かなくなる場合、拒絶すれば不利益を受けると憂慮する場合、長期にわたる支配関係の中で抵抗しても無駄だと感じる場合があります。現行刑法も、上記の通り、いわゆるフリーズの状態、虐待に起因する心理的反応、経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力を、同意しない意思の形成、表明又は全うを困難にする原因として明示しています。

性行為を拒絶しなかったから同意があった、肉体関係を継続したからには同意があった、迎合的なメッセージを見れば自由な性行為であったことが分かるといった単純な推論では、そのような被害者を救済することはできません。最高裁判所には、ぜひとも「ノーと言えない被害者」も法による救済を受けることのできる社会の姿を描いてほしいと願っています。

上告審は理論の戦い

もっとも、性行為への同意の有無は、基本的には事実認定の問題です。控訴審の事実認定が誤っていると主張するだけでは、最高裁判所による実質的な審理につなげることは困難です。最高裁判所に対する民事上告の理由は憲法違反その他の重大な手続違反等に限られ、上告受理申立てについては、原判決が最高裁判所の判例に相反する判断をした場合や、法令の解釈に関する重要な事項を含む場合であることが求められます。最高裁判所は法律審であり、控訴審が認定した事実関係そのものを改めて争う場ではありません。

要するに、上告審は、理論の戦いの場なのです。控訴審による個別の証拠評価を批判するだけでは足りません。最高裁には、この機会に、職場における指導関係や社会的地位の格差が存在する場合に、性行為への同意をどのような法的基準によって判断すべきか、被害者の迎合的言動をどのように評価すべきか、恋愛感情の存在と個々の性行為への同意とをどのように理解すべきかを、個別事案を超えて妥当する一般的な法理として提示て欲しいと思います。

そのためには、弁護士として、当事者にとっては悪夢のような事件を、社会全体に通用する法的な問いへと高め、条文、判例、学説、制度趣旨及び比較法的知見との関係を精密に整理しなければなりません。理論の構築が審理の入口を左右し、時には事件の帰趨そのものを決定します。

このように考えると、上告に関する業務は、弁護士業務の中でも、最も「元学者」に向いている仕事の一つであるように思われます。長年の研究を通じて培ってきた法概念の分析、判例の検討、比較法的な考察及び理論体系の構築を、一人の依頼者の救済のために直接用いることができるからです。

本件では、2026年8月中旬までに、最高裁判所に提出する上告理由書及び上告受理申立て理由書を完成させなければなりません。最高裁判所による実質的な審理につなげ、何とか上告受理に持ち込むため、現在、関連する裁判例、国内外の研究、2023年改正刑法との関係及び同意をめぐる民事法理論を改めて検討し、日夜、書面の作成に取り組んでいます。

SAKURA法律事務所とSAKURA法学舎で目指すこと

私は、2026年6月からSAKURA法律事務所でお世話になっています。SAKURA法律事務所は、私がこのような研究と実務を一体として進めるに当たり、最適な環境を提供してくれています。事務所は、六本木一丁目のアークヒルズサウスタワー内にあります。大学人として長く研究及び教育に携わってきた私にとっては、かつて望むべくもなかったような環境であり、自分の人生には無縁の場所だと思っていました。今では、毎日、事務所に行くだけで楽しくなります。

弁護士として現実の事件に向き合いながら、同時に落ち着いて研究と執筆を続けることができ、若い弁護士たちと法律問題を議論することもできます。研究者として蓄積してきたものを実務へ還元し、実務の中から新たな研究上の問いを見いだすことのできる現在の環境を、大変ありがたく感じています。

今後、私はSAKURA法律事務所を基盤として、性被害訴訟に限らず、法律実務と法学研究の接点から、さまざまな問題について発信していきたいと考えています。そのための重要な取組の一つが、SAKURA法学舎の開設です。

SAKURA法学舎は、現実の紛争や企業活動の中から生じる問題意識を理論的に掘り下げ、その成果を再び実務へ還元するための研究及び知的交流の場です。研究者、弁護士、企業法務担当者その他の専門家が、それぞれの経験と問題意識を持ち寄り、既存の理論や裁判実務を問い直しながら、新たな法的知見を形成することを目指しています。実務の現実を見失った理論は空虚であり、理論的な裏付けを欠いた実務は脆弱です。SAKURA法学舎は、その両者を結びつける継続的な場として設けられました。

法は、社会の現実から離れて存在するものではありません。個々の事件に現れる苦しみや矛盾に向き合い、救済が届いていない場所があるならば、その理由を問い、必要な理論を構築し、実務を変えていくことが法律家の責務です。

本件の上告審に向けた取組も、そのような営みの一つです。望むような結果を得ることは、決して容易くはないでしょう。しかし、明確に拒絶することのできなかった性被害者を、同意があったものとして切り捨ててよいのかという問いは、今後の日本社会にとって極めて重要です。一人の依頼者を救済することを通じて、性被害に対する法を一歩でも前に進めることができるよう、最後まで力を尽くしたいと考えています。

今後、SAKURA法学舎において開催する研究会、フォーラム及びセミナー並びにSAKURA法律事務所から発信するコラムについて、多くの皆様に関心をお寄せいただき、議論にご参加いただければ幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。