COLUMN
2026.10.23
「有名人なのだから、多少の悪口は仕方がない」
芸能人やインフルエンサーへの誹謗中傷が話題になるたびに、このような声が聞かれます。当事務所にも、タレントやインフルエンサー、その所属事務所から、SNSや匿名掲示板への投稿に関するご相談が寄せられています。その中には、「反応すればかえって炎上する」「この仕事をしている以上、我慢するしかない」と、長い間一人で抱え込んできた方が少なくありません。
例えば、ドラマへの出演が決まった直後から、匿名掲示板に「寝て役を取った」と書き込まれ続ける。自らプロデュースした化粧品について、「フォロワーを騙している」と拡散される。こうした投稿は、本人の心を傷つけるだけでなく、出演や企業案件、商品の売上げといった仕事そのものにも影響します。
しかし、法は、有名人であることを理由に誹謗中傷を我慢するよう求めているわけではありません。本稿では、「有名税」という考え方を法的に検討したうえで、匿名の投稿者にたどり着くための発信者情報開示の実務と、慰謝料をめぐる最近の動きを紹介します。
「有名税」という考え方の背景には、公の場で活動する人は批判を受け入れるべきだ、という感覚があるように思われます。たしかに、名誉毀損の法理にも、これと重なる部分があります。
人の社会的評価を下げる表現であっても、①公共の利害に関する事実について、②もっぱら公益を図る目的で表現され、③その内容が真実であると証明された場合などには、違法とはされません(最高裁昭和41年6月23日判決・民集20巻5号1118頁)。政治家の政策や企業の不正のように、社会が知るべき事柄については、厳しい表現も許されるという考え方です。
もっとも、この法理が守っているのは、あくまで「公共の利害に関する」「真実の」表現です。芸能人やインフルエンサーであっても、異性関係などの私生活上の事柄が、当然に公共の利害に関する事実となるわけではありません。まして、「寝て役を取った」「フォロワーを騙している」といった根拠のない噂は、真実性を証明できるはずもありません。
つまり、出演作品や商品への批判は表現の自由として保護される一方で、根拠のない噂を事実のように書き込むことは、有名人が相手であっても許されません。法は、「有名だから我慢すべき」とは考えていないのです。
誹謗中傷の多くは、匿名のアカウントや掲示板から行われます。この匿名の壁を越えるための制度が、情報流通プラットフォーム対処法(旧・プロバイダ責任制限法)が定める発信者情報開示です。
画面上は匿名の投稿でも、その裏側には通信の記録が残っています。Xや掲示板などの運営者(コンテンツプロバイダ)は、投稿がどのIPアドレス(インターネット上の住所にあたる番号)から送られたかを記録しています。そのIPアドレスを管理する携帯電話会社や回線事業者(アクセスプロバイダ)は、その時刻に回線を使っていた契約者の氏名と住所を把握しています。この二つの記録を順にたどることで、投稿者に行き着くことができます。
開示が認められるのは、投稿によって権利が侵害されたことが明らかであり、かつ、慰謝料の請求などのために開示を受ける正当な理由がある場合です(同法5条1項)。この判断には、前述の「公共性」や「真実性」の検討も含まれます。手続としては、令和3年の法改正により導入された発信者情報開示命令(同法8条)を用いるのが一般的です。以前は二つの裁判手続を順に行う必要がありましたが、現在は一つの手続の中で両方のプロバイダを相手に進めることができます。
芸能人やインフルエンサーからよく伺うのが、「本名や自宅の住所が投稿者に知られてしまうのではないか」という不安です。現在は、申立人の氏名や住所を相手方に知られないようにする秘匿の申立てを利用できる場合があり、この不安は一定程度解消できるようになっています。
ただし、時間の制約があります。アクセスプロバイダが通信の記録を保存している期間は、一般に3か月程度とされています。「しばらく様子を見よう」と迷っている間に記録が消えれば、裁判所が開示を認めても、投稿者にたどり着くことはできなくなります。
もっとも、IPアドレスをたどる方法だけが、投稿者にたどり着く道ではありません。
近年のSNSは、アカウントの登録や不正ログインの防止のために、利用者の電話番号やメールアドレスを登録させていることが少なくありません。こうした状況を受け、2020年には総務省令が改正され、開示を求めることができる情報に電話番号が加えられました。そのため、コンテンツプロバイダから、IPアドレスとあわせて、投稿者が登録した電話番号やメールアドレスが開示されることがあります。
電話番号が開示されれば、その番号を管理する携帯電話会社に対し、弁護士会照会(弁護士法23条の2。弁護士が所属する弁護士会を通じて、企業などに必要な事項の回答を求める制度)を行い、契約者の氏名と住所を尋ねることができます。総務省の検討資料でも、電話番号を開示の対象に加える理由として、この方法が挙げられています。
この方法では、アクセスプロバイダを相手とする開示の手続を経ずに、投稿者を特定できる場合があります。その結果、手続が一段階減り、より迅速に特定できることがあります。また、契約者の情報は通信の記録と異なり、数か月で消えるものではないため、前述の時間の制約も受けにくくなります。
もちろん、携帯電話会社が必ず回答するとは限らず、どの方法が最も早いかは事案ごとに異なります。それでも、「IPアドレスの記録が消えていたら終わり」ではないという点は、知っておいていただきたいところです。
投稿者が特定できれば、名誉やプライバシーを傷つけられた精神的な苦痛について、慰謝料を請求できる場合があります(民法709条・710条)。
しかし、これまでの裁判で認められてきた慰謝料は、被害の大きさに比べて低いと指摘されてきました。ネット上の名誉毀損で認められる慰謝料は、数十万円程度、多くは50万円前後にとどまるのが実情です。現在の民法には慰謝料の額の算定方法を定めた規定がなく、金額は裁判所の裁量に委ねられているためです。仕事への影響が大きい芸能人やインフルエンサーにとって、この水準は十分とはいえないでしょう。
この状況に、変化の兆しがあります。法務省は、2026年9月29日、民法の不法行為に関する規定の見直しに向けて、民法の専門家や裁判官らで構成する研究会を設置すると発表しました。報道によれば、ネット上の誹謗中傷が深刻化していることを背景に、慰謝料の算定で考慮すべき要素を明確にすることが検討される見通しです。研究会は同月30日に初会合を開き、検討結果がまとまれば、法制審議会(法務大臣の諮問機関)に諮問される予定です。不法行為の規定は、1896年(明治29年)の民法制定時からほぼ変わっておらず、実現すれば初めての大幅な見直しとなります。
現時点では検討が始まった段階であり、改正の内容や時期は決まっていません。しかし、「誹謗中傷をしても大した責任は負わない」という状況は、今後大きく変わる可能性があります。
芸能人やインフルエンサーは、多くの人に見られることを仕事にしています。しかし、それは、根拠のない噂や人格を否定する言葉を受け入れることまで引き受けたという意味ではありません。匿名の壁は、発信者情報開示や弁護士会照会によって越えられる場合があります。そして、慰謝料の水準も、いま見直しに向けて動き始めています。
「有名税」として一人で我慢し続ける必要はありません。当事務所では、タレントやインフルエンサーご本人のほか、芸能事務所・マネジメント会社からのご相談も承っており、投稿の削除請求から発信者情報開示、投稿者への慰謝料請求まで対応しています。今後も、実際の事件処理を通じて、表現の自由と個人の尊厳が両立するネット空間の在り方を考えてまいります。