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2026.10.15

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【SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎 Legal Update】インサイダー取引規制と上場会社の情報ガバナンス――重要事実の成立・公表、M&A・TOB、2026年改正、情報伝達・取引推奨、役職員売買及び危機対応【2026年版】について公開いたしました。

SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎 Legal Update

2026年9月29日(2026年10月6日全面改訂)

SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下 剣志郎

SAKURA法律事務所は、代表弁護士 道下剣志郎によるLegal Update第24回「インサイダー取引規制と上場会社の情報ガバナンス」を全面改訂しました。本稿では、日本のインサイダー取引規制を、役職員の自社株売買を禁止する個別ルールではなく、重要情報が生まれ、社内外へ共有され、法令上の「公表」に至るまでの全過程を統制する企業情報ガバナンスとして捉え直します。M&A、公開買付け、決算、資本政策、不祥事、サイバーインシデントその他の市場感応度の高い情報は、法務・コンプライアンス部門だけでなく、経営企画、財務・IR、事業部門、IT、人事、海外拠点、金融機関、PEファンド、FA、法律・会計・税務アドバイザーその他の外部関係者を横断して流通するためです。

2026年の執行事例は、この問題が上場会社内部だけでは完結しないことを鮮明にしています。証券取引等監視委員会は、公開買付代理人契約等の締結交渉に関してTOB情報を知ったとされる投資銀行部門責任者が関与した牧野フライス製作所株式事件、秘密保持契約の履行に関して配当予想に係る重要事実を知ったとされる東洋証券株式事件について刑事告発を行いました。また、公開買付者側の従業者から情報伝達を受けた韓国居住者によるNIPPO株式取引では香港・韓国当局との国際連携が公表され、9月にはBlackstone Inc.の連結子会社とのアドバイザリー契約を情報取得経路とするアイロムグループ株式の課徴金勧告も公表されています。

さらに、2026年は規制自体も動いています。7月1日から、インサイダー取引規制上の「親会社」の定義が、有価証券報告書等への記載に依存する方式から、他の会社の意思決定機関を支配している会社を捉える方式へ見直されました。加えて、7月15日に成立し7月23日に公布された令和8年金融商品取引法等改正は、公開買付けに関するインサイダー取引規制の対象を対象会社側の契約締結者・交渉者等へ拡張し、TOBインサイダー取引の課徴金水準、他人名義口座の利用や口座提供等への課徴金制度を見直すことを予定しています。ただし、これら主要部分は2026年10月6日時点では成立済み・未施行であり、現行法と将来法を混同してはなりません。8月12日に先行施行されたのは、無登録業に対する罰則引上げ等の一部規定です。

本稿は、2026年10月6日時点の金融商品取引法、関係政令・内閣府令、金融庁、証券取引等監視委員会、日本取引所グループ、日本証券業協会及び裁判所の公表資料を踏まえ、上場会社、上場準備会社、取締役・執行役員、General Counsel、法務・コンプライアンス、IR・財務、PEファンド、金融機関、M&Aアドバイザー及び海外本社が、日本法上のインサイダー取引規制を日常業務と取引実務へ実装するための考え方を整理します。

本稿の要旨

日本のインサイダー取引規制は、「重要な未公表情報を知って売買してはならない」という一般論だけでは正確に把握できません。金融商品取引法第166条は会社関係者及び第一次情報受領者、第167条は公開買付者等関係者及び第一次情報受領者、第167条の2は一定の情報伝達・取引推奨をそれぞれ規律します。実務では、誰が、どの地位・契約関係に基づき、どの経路で情報を取得し、いつ何を知り、どの有価証券について、いつどの取引又は推奨を行ったのかを、時系列で構造化することが出発点です。少額取引、善意の動機、利益が小さいことは、それ自体として一般的な免責理由にはなりません。

重要事実の「成立」と「公表」は別の問題です。決定事実は正式な取締役会決議まで当然に発生しないわけではなく、判例上、実質的に業務執行を決定する者が実現を意図し、準備行為を会社の業務として進める旨を決定した段階が問題となり得ます。他方、市場での噂、報道、SNS上の拡散は、法令所定の「公表」と当然には一致しません。法務、IR、財務、経営企画は、重要事実の成立時点と法定公表完了時刻を別々に記録できる運用を持つ必要があります。

M&A・TOBでは、情報管理の対象は対象会社の役職員に限られません。公開買付者、PEスポンサー、レンダー、投資銀行、FA、法律事務所、会計・税務アドバイザー、コンサルタント、PR、印刷・翻訳、IT・データルームその他の契約締結者・交渉者へ情報が広がります。現行法の第167条には対象会社側の外部アドバイザー等を直接捕捉しにくい場面がありますが、2026年改正法はこのギャップを埋めるため、対象会社と契約を締結・交渉している者等を規制対象へ追加する予定です。もっとも、この拡張は2026年10月6日時点では未施行です。企業は、現行法を正確に適用しつつ、改正施行後に備えた統制へ先行して移行することが合理的です。

内部統制では、精緻な規程より、規程と実際の情報フローがつながっていることが重要です。2026年の課徴金事例集は、取引推奨規制が社内規程に反映されていない例、アクセス権限の不備、Need-to-Knowが機能していない例、役職員売買の承認制度が形式化している例を示しています。案件登録、アクセス権、インサイダーリスト、売買事前承認、ブラックアウト、知る前契約・計画、持株会、外部委託先、生成AI・SaaS、研修、TDnet公表確認までを一つの統制体系として接続しなければなりません。

違反疑義が生じた場合は、本人への事情聴取を急ぐ前に、重要事実・TOB事実の成立時期、公表時刻、取引・注文時刻、情報取得経路、メール・チャット、データルーム・共有フォルダのログ、会議記録、外部受領者リスト等を保全する必要があります。その後、調査の独立性、取締役会・監査機関への報告、SESC・取引所対応、適時開示、役職員処分、契約上の措置、根本原因分析と再発防止までを一つの危機対応として設計します。

1 現行法の規制構造と2026年改正への移行――第166条・第167条・第167条の2を「情報経路」で読む

日本法の特徴は、単純な「material non-public informationの保有」だけでなく、規制対象者の地位と情報取得経路を法定している点にあります。第166条の会社関係者には、役員・従業員だけでなく、一定の株主、法令上の権限を有する者、上場会社と契約を締結し又は交渉している者及びその役職員等が含まれ得ます。これらの者から直接情報を受けた第一次情報受領者も法定要件の下で規制されます。第167条は公開買付け等について別の主体・情報経路を定め、第167条の2は、情報そのものを伝える行為と、情報を明示せずに売買を勧める取引推奨とを捕捉します。したがって、コンプライアンス部門は「この情報は機密か」という問いだけでなく、「この人は誰とのどの関係から知ったのか」を必ず記録する必要があります。

元関係者にも時間的な射程があります。証券取引等監視委員会の2026年課徴金事例集は、第166条では会社関係者でなくなった後1年以内、第167条では公開買付者等関係者でなくなった後6か月以内の者が規制対象となり得ることを整理しています。退職、異動、案件終了によって情報管理を即時解除するのではなく、未公表情報の残存、端末・クラウドへのアクセス、個人売買のタイミング、退職時の注意喚起を組み合わせて管理すべきです。

2026年7月1日には、現行法上の「親会社」の定義が実際に変更されました。従来は直近の有価証券報告書等の記載を基礎とする側面がありましたが、改正後は、他の会社の意思決定機関を支配している会社という実質的な支配関係を捉える方向へ改められています。グループ再編、買収直後、非開示会社を親会社とするストラクチャー等では、旧来の開示書類だけを確認する運用では足りません。グループ図、議決権、役員選任権その他の実質的支配を法務・コンプライアンスが把握し、会社関係者・公開買付者等関係者の範囲へ反映する必要があります。

他方、2026年7月15日に成立した令和8年金融商品取引法等改正の主要な不公正取引規制改正は、10月6日時点ではまだ施行されていません。改正法は、公開買付けの対象会社と契約を締結・交渉する者、例えば対象会社側アドバイザー等を公開買付けインサイダー規制の対象へ追加し、公開買付けに係る課徴金水準を引き上げるほか、他人名義口座を利用した不公正取引について課徴金を加重し、口座提供等の協力者に対する課徴金を創設する制度を含みます。これらは成立済みですが、主要部分は公布から1年以内の政令指定日に施行される構造であり、現時点の個別案件に将来法を遡って適用することはできません。

もっとも、企業の統制設計は施行日まで待つ必要はありません。とりわけM&A・TOBでは、現行法の最低線だけを基準に対象会社側アドバイザーを管理対象外とする合理性は乏しく、改正後の射程を前提に、対象会社・公開買付者双方のアドバイザー、外部ベンダー、海外関係者をdeal team管理へ組み込むべきです。法的評価では「現行法」と「成立済み未施行法」を峻別しつつ、ガバナンスでは将来制度へ先行適合することが、移行期の最も実務的な対応です。

2 重要事実はいつ成立し、いつ「公表」されるのか――決定時点、バスケット条項、適時開示・FDとのずれ

第166条の重要事実には、決定事実、発生事実、決算情報、子会社に関する一定の事実等の法定類型と、投資者の投資判断に著しい影響を及ぼす事実を捕捉するバスケット条項があります。実務では、項目名への当てはめだけでなく、軽微基準、企業集団への影響、株価・事業への実質的な重要性を重ねて判断します。証券取引等監視委員会の事例集が大成建設の品質問題・虚偽報告・解体再建築に関する事実をバスケット条項の事例として取り上げていることは、事故、不祥事、サイバーインシデント、重要顧客喪失その他の非定型事象を「列挙項目ではない」として管理対象外にできないことを示しています。

決定事実の成立時期では、正式な取締役会決議日を唯一の基準にしてはいけません。裁判例は、「業務執行を決定する機関」を会社法上の正式な決定機関に限定せず、実質的な権限を有する者が行為の実現を意図し、その実行又は準備を会社の業務として進める旨を決定した段階を問題としています。M&A、資本業務提携、増資、自己株式取得等では、代表者・投資委員会等の権限、FA・金融機関への依頼、DD開始、条件交渉、資金調達準備、社内指示その他の外部化された行為を時系列化し、法定上の成立時点より前に予防的な取引制限を開始することが通常です。

決算情報でも、法定類型の名称だけを見ると統制開始が遅れます。JPXのFAQは、四半期数値そのものが直ちに法定の決算情報となるとは限らない一方、その内容から通期予想の修正が実質的に読み取れる場合には、通期予想修正を知ったと評価され得ることを示しています。決算締め、予算ローリング、減損、税効果、配当方針、資金繰り等の情報へのアクセス者を、発表直前だけでなく情報が市場感応度を帯びる過程に沿って管理する必要があります。

重要事実が成立した後、売買制限が解除されるには、法令上認められた「公表」が必要です。新聞・ネット報道、SNS上のリーク、アナリストの憶測、市場参加者の周知は、公表の代替にはなりません。TDnetを用いる場合には、リリースを社内で承認した時刻や送信ボタンを押した時刻ではなく、法令上の公表要件が満たされた時刻を確認し、restricted listの解除をその事実に連動させるべきです。海外親会社が先に発表した場合にも、日本法上の公表が完了しているかを別途確認する必要があります。

また、東証の適時開示制度、金融商品取引法上の重要事実、フェア・ディスクロージャー・ルール上の重要情報は相互に関連しますが同一ではありません。「適時開示不要」と判断したことだけで役職員売買が自由になるわけでも、特定のアナリストや投資家への選択的伝達が当然に許されるわけでもありません。同じ事象を複数の制度軸で評価し、法務、IR、財務、経営企画が一つの判断メモとタイムラインを共有することが、情報ガバナンスの基礎になります。

3 M&A・TOBは最も脆弱な情報サプライチェーンである――対象会社、買付者、PE、金融機関及び外部アドバイザー

M&A・TOBは、情報の価格感応度が高い一方、公表前に多数の関係者が必要不可欠な形で情報へアクセスするため、インサイダー管理が最も難しい領域です。2026年課徴金事例集も、過去の課徴金勧告では公開買付け事案が最も多いことを明示しています。公開買付者、対象会社、PEスポンサー、投資銀行、レンダー、FA、法律事務所、会計士、税理士、コンサルタント、PR会社、印刷・翻訳会社、システム・データルーム事業者が、案件の相当早期から同じ情報サプライチェーンに入ります。

2026年の執行事例は、契約関係がそのまま情報取得経路となることを示しています。牧野フライス製作所事案では公開買付代理人業務契約等の締結交渉、東洋証券事案では秘密保持契約の履行、アイロムグループ事案では公開買付者グループの連結子会社とのアドバイザリー契約が問題となりました。NIPPO事案では海外居住者による取引について香港・韓国当局との連携が公表され、ノバレーゼ・APAMAN事案では社内で知得した情報と配偶者の取引が刑事告発の対象となりました。NDAは秘密保持には有効でも、それ自体が金融商品取引法上のセーフハーバーになるわけではありません。

現行の第167条と2026年改正の関係は、M&A実務家にとって特に重要です。現行法では、公開買付者側の契約締結者等は広く規制される一方、対象会社側では対象会社そのものや一定の役職員が中心となり、対象会社の契約締結者・交渉者等が公開買付者等関係者として直接規制されないギャップが存在します。成立済みの2026年改正法は、対象会社と契約を締結・交渉するアドバイザー等を対象へ追加することを明示しています。ただし、10月6日時点では未施行です。個別案件の違反成立を論じる際には現行法を適用し、今後の契約・統制設計では改正法を織り込むという二層の思考が必要です。

案件開始時には、プロジェクトコード、deal team、Need-to-Know、データルーム・共有フォルダ・会議招集・チャットのアクセス制御、ウォールクロス記録、個人売買制限、restricted list及び公表確認を同時に立ち上げるべきです。外部アドバイザー契約も、秘密保持だけでなく、社内受領者、再委託、個人売買、生成AI・外部SaaSの利用、情報セキュリティ、インシデント報告、調査協力、返却・削除を扱うべきです。案件が公表されたかどうかの解除判断は、各社が噂や海外公表から独自に推測するのではなく、正式な確認プロセスで管理する方が安全です。

クロスボーダー案件では、海外本社が用いるMNPI、wall-crossing、restricted listの概念をそのまま日本法へ当てはめないことも重要です。日本法は対象者の地位、情報取得経路、重要事実・公開買付け等事実の定義、公表方法について独自の構造を持っています。日本側の法的判定をグローバルのrestricted list、personal account dealing、information barrierへ変換し、海外PE・金融機関・外国法律事務所を含む全deal chainへ同じ解除時刻と取引制限を伝えることが、国際M&Aの実務的な統制です。

4 規程を「動く統制」に変える――役職員売買、アクセス管理、J-IRISS移行、AI・SaaSと第三者管理

インサイダー取引防止規程は必要ですが、規程の精緻さと統制の実効性は同義ではありません。証券取引等監視委員会の2026年課徴金事例集は、取引推奨規制が社内規程に反映されていない例、インサイダー情報を保存したフォルダに適切なアクセス権がなく本来の受領者以外が情報を知得した例、役職員売買制度の運用上の弱点を具体的に指摘しています。規程はシステム仕様書であり、実際の権限、ログ、承認、教育、監査が動いて初めて統制になります。

役職員の自社株売買を本人の自己申告だけに依存させるべきではありません。事前承認時に、active deal、決算・資本政策へのアクセス、職位・所属、インサイダーリスト、システムアクセス、外部プロジェクト参加状況をコンプライアンス側で照合する仕組みが望まれます。ブラックアウト期間は有用ですが法定セーフハーバーではなく、期間外でも別の未公表重要事実を知っていれば売買できません。逆に、会社設定のブラックアウトと法令上の禁止範囲も完全には一致しないため、「期間内か否か」だけで法的判断を代替してはいけません。

計画的な株式処分や資産分散では、法令上の要件を満たす知る前契約・計画を活用できる場合がありますが、重要事実を知った後に取引条件を裁量的に変更するための仕組みではありません。作成時期、取引数量・価格又はその決定方法、変更・停止条件、社内届出、保管、証券会社との連携を制度化し、重要事実を知る前に実質的な裁量が排除されていたことを説明できるようにすべきです。持株会についても、継続的・非裁量的な拠出と、出庫・売却・拠出変更等の裁量行為を分けて管理します。

市場側の予防インフラも2026年に変わりました。J-IRISSは5月25日に運営を終了し、日本証券業協会の新たなデータベースを用いた照合の仕組みへ移行しています。新制度後も証券会社は、提供されたデータベース等と顧客情報を少なくとも年1回照合することが義務付けられています。これは上場会社側の自社株売買管理が不要になったという意味ではなく、会社の内部者情報、証券会社の顧客登録、市場監視、SESC調査という複数のレイヤーが重なって予防・検知する構造になったということです。役員・主要関係者の情報更新を正確かつ迅速に行う必要があります。

情報管理は生成AI、翻訳サービス、外部SaaS、個人クラウドにも及びます。未公表決算、案件名、TOB条件、増資計画等を外部サービスへ入力しても法令上の「公表」にはならず、むしろ保存・学習利用、管理者アクセス、再委託、海外データセンター等を通じて新たな情報経路を作る可能性があります。AI・IT利用規程とインサイダー管理規程を分離せず、市場感応度の高い情報を入力禁止又は承認制の情報分類へ組み込み、例外利用時の契約審査、設定、ログ、削除、教育まで統合する必要があります。

5 情報伝達・取引推奨――「秘密を話さなければよい」という発想を捨てる

第167条の2は、従来型の秘密保持教育だけでは防げないリスクを扱っています。未公表の重要事実又は公開買付け等事実を知る一定の関係者が、他人に公表前取引をさせて利益を得させ、又は損失を回避させる目的で、情報を伝達し、又は取引を推奨することを禁止します。したがって、重要事実の具体的内容を言わずに「今は買わない方がよい」「来週までは売らない方がよい」と助言する行為も、法定要件を満たせば問題となり得ます。社内規程では「情報伝達」と「取引推奨」を別の禁止行為として記載し、課徴金・刑事責任が問題となるためには受領者の公表前取引等の個別要件があることも正確に説明すべきです。

リスクが顕在化しやすいのは、正式な会議室より、家族・友人との会話、会食、個人チャット、SNS、在宅勤務など統制が弱くなる場面です。SESCは親族・友人への情報伝達・取引推奨の事例を繰り返し取り上げ、柔軟な勤務環境では情報漏えいリスクが高まることを指摘しています。研修は法令文の読み上げではなく、家族から保有株について相談された場合、知人が対象会社株を買おうとしている場合、案件公表前に飲食の場で進捗を聞かれた場合など、現実の場面で「言ってよいこと/いけないこと」を判断させる必要があります。

2024年に告発された東京証券取引所社員の事案は、上場会社の外部にある市場インフラも情報経路となることを示しています。適時開示に関連する職務を通じて公開買付け情報を知ったとされる取引所社員が父親へ情報を伝達し、父親が公表前に買い付けたことが問題となりました。上場会社は、自社だけを統制して終わるのではなく、証券会社、取引所、専門家、委託先、海外グループ会社等へ情報が移る各接点で、その相手方の法的地位と情報管理を考える必要があります。

外部アドバイザーには、一般的なNDAに加え、案件ごとの取引制限通知を行うことが有効です。対象銘柄、未公表であること、受領を許される者、個人売買制限、再委託、問い合わせ先、公表確認・解除方法を明確にし、案件終了や署名完了をもって各社が自動的に制限解除を推測しない運用とします。これにより、法令違反防止だけでなく、後に情報伝達ルートを再構成する必要が生じた際の証拠も残せます。

6 違反疑義が生じたときの危機対応――証拠保全、社内調査、当局・取引所対応と開示を一つのタイムラインで管理する

不審な売買又は情報漏えいが判明したとき、最初に本人へ「何をしたのか」と聞くことが最善とは限りません。事情聴取が先行すると、メール・チャットが削除され、端末やアカウントの状態が変わり、関係者間の連絡によって記憶や説明が相互に影響を受けることがあります。初動では、重要事実・公開買付け等事実の内容と成立時期、法定公表時刻、対象者の地位・契約関係・情報取得時刻、取引・注文データ、メール・チャット、会議、データルーム、共有フォルダ、アクセスログ、restricted list、売買承認記録、外部受領者リストを保全し、必要に応じて追加取引・追加伝達を止めます。

調査体制は、対象者の職位と利益相反に応じて設計します。対象者が経営陣、M&A責任者、法務・コンプライアンス責任者その他通常の報告ラインに位置する場合、取締役会、監査役・監査等委員会・監査委員会、独立社外取締役等へ直接報告するラインを設け、外部弁護士を含む調査体制を検討します。日本では米国型の包括的なattorney-client privilegeが全ての手続で当然に認められるわけではないため、調査資料の作成・共有範囲も、想定される当局調査や訴訟を踏まえて設計する必要があります。

SESCは、重要事実公表前のタイミングの良い売買について、取引者本人だけでなく勤務先その他の関係者にも広く調査を行うと説明し、少額取引や他人名義取引でも監視・調査対象となることを繰り返し発信しています。企業側は、当局照会が届いてから初めて事実を再構成するのではなく、重要事実判定メモ、公表時刻、インサイダーリスト、アクセスログ、事前承認の根拠を平時から保存しておくべきです。良質な記録は、違反を立証するためだけでなく、無関係な役職員を早期に除外し、調査を必要以上に広げないためにも役立ちます。

疑義の発生だけで常に適時開示が必要になるわけではありません。しかし、対象者の地位、取引規模、内部管理態勢への影響、当局対応の進展、財務・事業への影響等によっては、取引所への開示や投資家への説明が問題となります。調査チーム、IR、広報、取締役会が別々の事実認識を持つと、当局提出、社内報告、市場開示が矛盾します。確認済み事実、未確認事項、法的評価、次の調査ステップを一つのmaster chronologyで管理し、各文書がそこから派生する形にすることが望まれます。

再発防止は「本人を処分した」で終わりません。なぜ情報がその者へ届いたのか、アクセス権が過大だったのか、契約先の管理が弱かったのか、売買事前承認が形式化していたのか、取引推奨が規程・研修から漏れていたのか、公表時刻の確認が曖昧だったのかを根本原因として分析します。個人の違反と統制上の欠陥を切り分け、必要な役職員処分、契約解除、権限変更、システム改修、研修、モニタリングを組み合わせることが、取締役会の説明可能性を高めます。

7 2026年の到達点――インサイダー管理を上場会社の「情報ガバナンス」に再設計する

成熟したインサイダー管理は、年1回の研修と自社株売買申請書ではありません。重要情報はM&A、経営企画、経理・財務、IR、事業部門、サイバーセキュリティ、人事、海外子会社で生まれ、その後、PEファンド、金融機関、専門家、委託先、生成AIやクラウドへ移動します。法務・コンプライアンスは、重要事実の判定者であるだけでなく、情報の発生源、アクセス権、外部共有、個人売買、公表、事故対応をつなぐアーキテクトであるべきです。

具体的には、重要事実判定フロー、案件登録、insider/deal-team list、Need-to-Knowアクセス、ウォールクロス、役職員売買事前承認、ブラックアウト、知る前契約・計画、持株会、情報伝達・取引推奨、外部委託・再委託、AI・SaaS利用、適時開示、Fair Disclosure、公表確認、教育、違反疑義時のエスカレーションを、一つの統制体系として定期的にテストします。アクセス権レビュー、異動・退職時の権限剥奪、実案件を用いた机上演習、海外拠点との解除連絡訓練等により、規程が現場で機能するかを検証する必要があります。

2026年改正への移行も、この情報ガバナンスの一部として扱うべきです。現行法上の対象者・課徴金計算を正確に維持しつつ、未施行改正が予定する対象会社側アドバイザー等への範囲拡張、TOBインサイダー課徴金の見直し、他人名義口座・口座提供への課徴金強化をgap analysisへ落とし込みます。施行日が指定された段階で規程を初めて書き換えるのではなく、契約書、deal onboarding、restricted list、個人売買、教育を先行修正しておけば、施行時の移行リスクを抑えることができます。

SAKURA法律事務所及び代表弁護士 道下剣志郎は、インサイダー取引規制を、上場会社の役職員売買という狭いテーマではなく、M&A・TOB、資本政策、決算・IR、クロスボーダー、金融規制、外部委託、AI・IT、内部調査、当局対応及び危機管理を横断する企業情報ガバナンスとして捉えています。平時の制度設計と有事の調査を同じ事実構造で接続し、企業が「なぜこの情報を、この人に、この時点で共有し、いつ制限を解除したのか」を後から説明できる状態を作ることが、実効的な予防と危機対応の共通基盤です。

FAQ

Q1 上場会社の役職員は、自社株を一切売買できないのでしょうか。

いいえ。自社株売買自体が一律に禁止されているわけではありません。ただし、法定の経路で未公表の重要事実を知っている場合には公表前取引が原則として規制され、会社の事前承認、ブラックアウト等の追加ルールも確認する必要があります。

Q2 100株など少額の売買であればインサイダー取引にはなりませんか。

なり得ます。JPXは、取引数量や利益の大小は成否を左右しないことを明示しています。少額取引や1単元取引であることを前提に統制や判断を緩めるべきではありません。

Q3 ブラックアウト期間外であれば自社株を売買してよいのでしょうか。

必ずしもそうではありません。ブラックアウト期間は予防的な社内統制であり、法定セーフハーバーではありません。期間外であっても別の未公表重要事実を知っていれば規制が問題になります。

Q4 取締役会の正式決議前なら、M&Aや増資は重要事実ではありませんか。

そうとは限りません。判例上、決定事実の「決定」は正式な取締役会決議に限定されません。誰が実質的に業務執行を決め、案件の実現を意図し、どの準備行為が外部化されたかを事案ごとに検討します。

Q5 M&AのNDAを締結していれば、相手方やアドバイザーは対象会社株式を売買できますか。

いいえ。NDAは秘密保持のために重要ですが、金融商品取引法上の取引規制を解除するものではありません。契約締結・交渉・履行に関して重要事実又はTOB事実を知れば、契約関係が規制上の情報取得経路となる場合があります。

Q6 新聞やSNSで案件が広く報道されれば「公表」されたことになりますか。

通常はそれだけでは足りません。インサイダー取引規制上の公表は法令所定の方法による必要があり、スクープ記事、憶測、SNS上の拡散だけで取引制限が当然に解除されるわけではありません。

Q7 適時開示事項、インサイダー取引規制上の重要事実、フェア・ディスクロージャー・ルール上の重要情報は同じですか。

同一ではありません。法的根拠、定義、制度趣旨が異なります。一つの事象について、適時開示、役職員売買規制、選択的情報伝達をそれぞれ検討する必要があります。

Q8 海外PEファンド、海外本社、外国アドバイザーにも日本のインサイダー取引規制は関係しますか。

関係し得ます。2026年のNIPPO事案では海外居住者の取引について課徴金勧告が行われ、香港・韓国当局との連携も公表されています。クロスボーダー案件では、日本法上の情報取得経路、公表時刻、対象証券をグローバルのrestricted listやpersonal dealingへ反映する必要があります。

Q9 2026年改正で、対象会社側のFAや法律事務所は既にTOBインサイダー規制の対象になっていますか。

一律に「既に改正後の範囲が適用される」とは言えません。2026年改正法は、対象会社と契約を締結・交渉する者等を第167条の規制対象へ追加する制度を成立させましたが、2026年10月6日時点で主要部分は未施行です。現時点の違反判断は現行法に基づきつつ、今後の統制は改正施行を前提に先行整備することが望まれます。

Q10 社内でインサイダー取引の疑いが生じた場合、最初に何をすべきですか。

本人への事情聴取を急ぐ前に、重要事実又はTOB事実の成立時期と公表時刻、取引・注文データ、メール・チャット、アクセスログ、会議・データルーム記録、売買承認記録等を保全してください。その上で利益相反を踏まえた調査体制を構築し、取締役会・監査機関、当局・取引所対応、適時開示、再発防止を一体的に検討します。

代表弁護士 道下剣志郎「Legal Update」について

SAKURA法律事務所は、代表弁護士 道下剣志郎のプロフィールページに「LEGAL UPDATE」欄を設け、企業法務、M&A、クロスボーダー取引、国際紛争、金融規制、Web3・暗号資産、AI・IT、個人情報、知的財産、労務、危機管理、内部調査等について、企業・経営者・General Counsel・金融機関・投資家・海外法律事務所の実務に資する解説を日本語及び英語で継続的に公表しています。本稿第24回は、上場会社のインサイダー取引規制を、M&A・TOB、IR、役職員売買、第三者情報管理、2026年改正、内部調査及び当局対応までを接続する情報ガバナンスとして整理するものです。

SAKURA法律事務所 公式サイト 代表弁護士 道下剣志郎 プロフィール

SAKURA法律事務所に相談できる事項

SAKURA法律事務所では、上場会社・上場準備会社、取締役・執行役員、株主、PEファンド、金融機関、投資家、M&Aアドバイザーその他の関係者から、インサイダー取引規制、重要事実・公開買付け等事実の判定、2026年改正への移行、役職員売買規程、インサイダーリスト、M&A・TOBの情報管理、ウォールクロス、知る前契約・計画、情報伝達・取引推奨、フェア・ディスクロージャー、適時開示、外部委託先・生成AI・SaaSを含む情報管理、社内調査、証券取引等監視委員会・取引所対応等について相談を受けています。クロスボーダー案件では、海外本社、外国法律事務所、PEスポンサー、投資銀行等と英語で連携し、日本法上の規制をグローバルなdeal governance及びcompliance frameworkへ組み込む対応も行います。

お問い合わせ

インサイダー取引規制、重要事実管理、M&A・TOB、役職員売買、2026年改正対応、適時開示、内部調査その他の企業法務・金融規制案件に関するご相談は、SAKURA法律事務所までお問い合わせください。

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〒106-0032 東京都港区六本木一丁目4番5号 アークヒルズサウスタワー4F

代表弁護士 道下 剣志郎

Web: https://sakura-lawyers.jp/

主な参考資料

1. 金融商品取引法(e-Gov法令検索)

2. 有価証券の取引等の規制に関する内閣府令(e-Gov法令検索)

3. 金融庁「インサイダー取引規制における『親会社』の定義の見直し」(2026年5月22日公表、7月1日施行)

4. 金融庁「第221回国会における金融庁関連法律案」―金融商品取引法及び資金決済に関する法律の一部を改正する法律(2026年7月15日成立)

5. 金融庁「金融商品取引法及び資金決済に関する法律の一部を改正する法律案 説明資料」―不公正取引規制の見直し

6. 金融庁「令和8年金融商品取引法等改正(20日後施行)に係る政令の公布について」(2026年7月29日)

7. 証券取引等監視委員会「金融商品取引法における課徴金事例集~不公正取引編~」(2026年6月)

8. 証券取引等監視委員会「報道発表(令和8年)―不公正取引関係」

9. 証券取引等監視委員会「公開買付者の従業者から伝達を受けた海外居住者によるNIPPO株式に係る内部者取引」(2026年6月26日)

10. 証券取引等監視委員会「公開買付者との契約締結者によるアイロムグループ株式に係る内部者取引」(2026年9月11日)

11. 証券取引等監視委員会「株式会社グッドスピードの役員から伝達を受けた者による内部者取引」(2026年6月5日)

12. 証券取引等監視委員会「株式会社ノバレーゼ株券及びAPAMAN株式会社株券に係る内部者取引事件の告発」(2026年6月29日)

13. 証券取引等監視委員会「株式会社牧野フライス製作所株券に係る内部者取引事件の告発」(2026年2月19日)

14. 証券取引等監視委員会「東洋証券株式会社株券に係る内部者取引事件の告発」(2026年3月12日)

15. 証券取引等監視委員会「東京証券取引所社員が関与した内部者取引事件の告発」(2024年12月23日)

16. 日本取引所グループ「インサイダー取引規制」

17. 日本取引所グループ「重要事実一覧表」

18. 東京証券取引所「会社情報適時開示ガイドブック」(2026年7月版)

19. 日本取引所グループ「会社情報の適時開示制度」

20. 日本取引所グループ「TDnetの概要」

21. 金融庁「企業内容等の開示に関する法令・ガイドライン」―フェア・ディスクロージャー・ルール

22. 日本取引所グループ「新制度移行に伴うJ-IRISSの運営終了に関するお知らせ」(2026年5月25日)

23. 日本証券業協会「協会員の内部管理、顧客管理等に関する規則」―内部者登録カード等の現行Q&A

24. 裁判所「平成29年6月7日判決」―金融商品取引法166条の『業務執行を決定する機関の決定』等

25. 裁判所「令和4年1月21日判決」―業務上の提携に係る重要事実の決定時期等

26. SAKURA法律事務所 公式サイト

27. SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎 プロフィール

免責事項

本稿は、2026年10月6日時点で公表されている法令、成立済み改正法、裁判例、行政・取引所・自主規制機関資料及び一般的な実務を踏まえた一般的な情報提供を目的とするものであり、特定の株式取引、M&A、公開買付け、役職員売買、情報伝達、取引推奨、適時開示、内部調査その他の個別案件についての法的助言又は法的意見を構成するものではありません。特に、2026年7月に成立・公布された金融商品取引法等改正のうち、公開買付けに係るインサイダー取引規制の対象者拡大、課徴金制度の見直しその他の主要部分は、2026年10月6日時点では未施行です。会社関係者、公開買付者等関係者、第一次情報受領者への該当性、重要事実・公開買付け等事実の成立時期、公表の有無、適用除外、情報伝達・取引推奨、課徴金・刑事責任、適時開示及びフェア・ディスクロージャーの評価は、当事者の地位、情報取得経路、契約関係、意思決定の具体化の程度、取引内容、時期、対象有価証券その他の具体的事情により異なります。実際の案件では、その時点で施行されている法令、関係府令、取引所規則及び最新の当局資料を確認し、個別事情に応じた検討が必要です。

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