お知らせ

NEWS

2026.10.29

お知らせ

【SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎 Legal Update】M&Aにおける独占禁止法・企業結合審査――届出・審査プロセス、2026年企業結合ガイドライン改定案、問題解消措置とクロスボーダー実務【2026年版】について公開いたしました。

LEGAL UPDATE | 第32回

分析基準日:2026年10月7日 | 訂正日:2026年10月20日

SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎

M&Aにおける独占禁止法上の企業結合審査は、契約締結後に届出書を提出するだけの手続ではありません。買収者と対象会社の事業がどの市場で競合し、あるいは川上・川下の関係に立つのか、取引後に価格、品質、供給条件、研究開発、データ利用その他の競争条件がどのように変化し得るのかという実体的評価が、取引の成立可能性、クロージング時期、価格、ファイナンス、統合計画及び契約上のリスク分担に直接影響します。特に戦略的買収、同業再編、規模の大きいPE投資、複数国にまたがるクロスボーダーM&Aでは、企業結合審査を取引実行の最後に置くのではなく、案件形成の初期から取引設計に組み込む必要があります。

日本では、独占禁止法第4章が株式取得、合併、会社分割、共同株式移転、事業譲受け等を規律し、公正取引委員会は、当該企業結合により「一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる」かという基準で審査します。一定の規模基準を満たす取引には事前届出と原則30日間の禁止期間が課されますが、届出基準を満たさない取引であっても競争への影響があれば審査対象となり得ます。2026年2月2日に改定された企業結合審査の手続に関する対応方針も、この点を前提として、届出不要の大型買収について公取委への相談が望まれる場合を明示しています。 [1] [3]

さらに、公正取引委員会は2026年7月17日、企業結合ガイドラインの改定案を公表し、供給の安定性の改善・維持、環境性能の向上、投資拡大・イノベーション促進による新商品の創出等を、企業結合による効率性向上を通じて実現する場合に競争促進効果として考慮すること、輸入圧力、参入、需要者からの競争圧力、効率性その他について長期間の市場の状況を考慮することなどを提案しました。もっとも、2026年10月7日時点では、この文書は意見募集を終えた改定案であり、公取委の現行ガイドライン掲載ページでは2019年12月17日改定版が引き続き現行版として掲載されています。したがって、実務では現行法・現行ガイドラインと改定案を厳密に分けて扱う必要があります。 [7]

本稿では、2026年10月7日時点の独占禁止法、公正取引委員会の現行企業結合ガイドライン、2026年改定案、企業結合審査の手続に関する対応方針、2025年公表の企業結合審査ガイドブック、近時の主要審査事例及び経済分析資料を基礎として、M&Aの検討開始から届出、実体審査、問題解消措置、契約条項、クロスボーダー調整までを一つの取引実務として整理します。

本稿の要旨

企業結合審査で最初に行うべきことは、届出基準の機械的な確認ではなく、取引が競争上どこに影響するのかを把握することです。日本の事前届出基準は、株式取得であれば買収者側の企業結合集団の国内売上高合計額、対象会社側の国内売上高、取引後の議決権保有割合等によって決まります。しかし、届出の要否と独占禁止法上の実体的な適法性は別問題です。届出不要であっても競争を実質的に制限することとなる企業結合は禁止され得るため、特に高額なスタートアップ買収、デジタル・データ関連取引、研究開発型企業の買収等では、売上高が小さいことだけを理由に競争法リスクを切り捨てるべきではありません。

届出対象取引では、受理日から原則30日間は実行できません。公取委が法律に基づく報告等の要請を行い第2次審査へ移行した場合、所定の通知等の期限は、届出受理から120日を経過した日と、全ての報告等を受理した日から90日を経過した日のいずれか遅い日です。これは通常の質問を受けるたびに始まる期間でも、最終的な排除措置命令や契約上のクロージングの期限そのものでもありません。実務上は、正式届出前の相談、資料準備、事業部門との事実確認、市場データの収集及び海外当局との調整にも時間を要します。SPAでは、審査完了を前提条件に置くだけでなく、届出協力、当局対応の主導権、問題解消措置の負担、最終実行期限、解除権及び競争上機微な情報の管理を具体的に定める必要があります。 [3]

実体審査では、市場シェアやHHIは重要な入口ですが、結論そのものではありません。競争者の供給能力、輸入圧力、新規参入、隣接市場からの競争圧力、需要者の交渉力、データ・知的財産・研究開発能力、当事会社間の競争の近接性、潜在的競争、効率性などを取引の実態に即して評価します。2026年改定案は、この枠組みを維持しながら、供給安定性、環境性能、イノベーション、新商品創出及び長期的な市場変化をより明示的に分析対象へ取り込もうとするものです。これは競争制限的な取引を社会的意義だけで許容する一般的な公益免除を設けるものではなく、あくまで競争への影響と企業結合に由来する効率性を具体的な証拠で示すことが重要です。

近時の審査実務では、内部文書、顧客・競争者へのヒアリング、経済分析及び問題解消措置の実効性が重視されています。公取委の2025年度の公表によると、届出458件のうち449件は第1次審査で問題なしとされ、8件は取下げ、1件は第2次審査へ移行しました。これとは別に、届出を要しない取引15件の審査が終了しています。同年度に審査を終了した案件のうち5件は問題解消措置を前提とする判断でした。件数は各区分の対象を区別して理解し、単純に加算して承認率等を導くべきではありません。企業には、競争法DD、取引価値、契約交渉、取締役会判断、PMI準備及び海外規制対応を接続する管理が求められます。 [8]

第1章 企業結合審査は「届出要否」ではなく取引設計から始まる

M&Aの初期段階で最も危険なのは、独占禁止法の検討を「国内売上高が基準を超えるか」というチェックだけで終えることです。独占禁止法第4章が問題にするのは、株式取得、合併、会社分割、共同株式移転、事業譲受け等によって当事会社間の結合関係が形成・維持・強化され、その結果として一定の取引分野における競争が実質的に制限されることとなるかという点です。したがって、法定届出が必要かどうかは手続上の入口にすぎず、取引の実体が競争に及ぼす影響の分析とは切り分けて考える必要があります。

この区別は、近年のスタートアップ買収、ソフトウェア・AI・半導体・ライフサイエンス等の研究開発型取引で特に重要です。対象会社の現在の日本売上高が小さくても、重要な技術、データ、知的財産、研究開発パイプライン、ネットワーク効果又は将来の参入可能性を持つ場合、現在の市場シェアだけでは競争上の重要性を捉えきれません。現行企業結合ガイドラインも、届出対象か否かにかかわらず、個々の事案について競争への影響を判断することを明示しています。さらに、公取委の手続対応方針は、対象会社の国内売上高等に係る届出基準を満たさないために届出を要しない取引のうち、買収対価の総額が400億円を超えると見込まれ、対象会社の事業・研究開発拠点が国内にある、日本の需要者向けに営業している、又は国内売上高合計額が1億円を超えるといった事情がある場合には、当事会社が公取委に相談することが望まれるとしています。これは法定届出義務そのものではありませんが、「売上高基準未達だから独禁法対応は不要」という発想が成り立たないことを端的に示しています。 [3]

買主側では、LOI又は基本合意の前後から、対象事業と自社グループの水平的な競合関係、川上・川下の垂直関係、補完商品・プラットフォーム・データ等を通じた混合的関係を把握し、どの国・地域で競争法上の審査が生じるかをマッピングする必要があります。売主側でも、競争法リスクが高い買主を選択することは、価格だけでなく取引確実性やクロージングまでの期間に影響します。オークション案件では、最高価格の提示者が最も確実な買主であるとは限りません。企業結合審査に時間を要すること、厳しい問題解消措置を要求される可能性、海外当局との審査時期がずれる可能性まで含めて、実現可能性を比較すべきです。

取締役会や投資委員会にとっても、企業結合審査は単なる法務部門の届出問題ではありません。競争法リスクは、買収価格、シナジーの実現可能性、事業売却等の問題解消措置による価値毀損、ファイナンスのコミットメント期間、契約解除の可能性及びPMIの開始時期に直結します。案件承認時には、どの競争上の論点があるのか、どの市場で審査が想定されるのか、問題解消措置を受け入れる場合に取引の経済合理性が維持されるのかを、法務と事業の共通言語に落とし込むことが重要です。

第2章 届出基準と審査手続をM&Aスケジュールへ落とし込む

日本の事前届出制度は行為類型ごとに定められています。株式取得では、原則として買収者の属する企業結合集団の国内売上高合計額が200億円を超え、対象会社及びその子会社の国内売上高合計額が50億円を超え、かつ取得後の企業結合集団ベースの議決権保有割合が新たに20%又は50%の基準を超えることとなる場合に事前届出が必要です。合併では、一方の当事会社が属する企業結合集団の国内売上高合計額が200億円を超え、他方の当事会社が属する企業結合集団の国内売上高合計額が50億円を超える場合が基本となり、同一企業結合集団内の取引等の例外も確認します。会社分割、共同株式移転、事業譲受け等にはそれぞれ固有の基準があるため、取引ストラクチャーを変更すれば当然に届出を回避できるというものではありません。外国企業同士の取引であっても、日本国内売上高等の基準を満たせば日本での届出が必要になり得ます。 [4] [5]

届出対象取引では、届出受理から30日を経過するまで原則として実行できず、公取委が所定の条件の下で禁止期間を短縮する場合があります。第2次審査への移行は、例えば株式取得では独占禁止法10条9項に基づく正式な報告等の要請によるものであり、届出前相談や第1次審査中の通常の質問すべてがこれに当たるわけではありません。第2次審査では、届出受理から120日と、全ての報告等の受理から90日のいずれか遅い日までに、排除措置命令を行わない旨の通知、確約手続通知又は意見聴取の通知等が行われます。この期限と当初の実行禁止期間は区別し、審査継続中の実行の適否は実体規制・契約上の条件も含めて判断すべきです。2025年11月に届出されたプライムポリマーによる住友化学のポリプロピレン等事業の吸収分割は、第2次審査を経て2026年4月24日に問題なしとの判断が示されており、第2次審査への移行自体が禁止の予告でないことも分かります。 [3] [13]

実務上のタイムラインは、この法定期間だけを見て設計すべきではありません。届出書の作成には、市場の画定、売上高・市場シェア、主要顧客・供給者、競争者、取引の目的、統合後の事業計画その他の事実確認が必要であり、複雑な案件では当事会社の事業部門や海外本社から情報を集めるだけでも相当の時間を要します。また、公取委は届出前相談を受け付けており、具体的な計画内容を示した上で、論点、資料、届出時期等を事前に協議することができます。ただし、届出前相談は法的な最終判断を先取りする制度ではありません。早期相談の価値は、承認の保証を得ることではなく、争点を早く把握し、正式審査で必要となる資料と説明の質を高めることにあります。

SPAでは、企業結合承認をクロージング条件として規定するだけでは、当事者間のリスク配分は完成しません。どちらが届出・当局対応を主導するのか、相手方にどの程度のレビュー・同意権を認めるのか、当局から事業売却、アクセス提供、情報遮断その他の問題解消措置を求められた場合に買主がどこまで受け入れる義務を負うのか、重大な価値毀損を伴う措置を拒否できるのか、long-stop dateをどのように設定するのかを案件ごとに詰める必要があります。特にPEファンドや複数事業を持つ戦略的買主では、問題解消措置が対象会社だけでなく既存ポートフォリオへ及ぶ可能性も踏まえ、契約締結前に「許認可取得のために何を差し出せるか」の上限を経営判断として定めておくことが重要です。

第3章 市場画定と競争評価――市場シェアだけで結論を出さない

企業結合審査の中核は、どの「一定の取引分野」で競争への影響を評価するかを定め、その市場で取引後の競争圧力が十分に残るかを分析することです。現行ガイドラインは、商品の範囲について需要者からみた代替性を基本とし、必要に応じて供給者からみた代替性も考慮します。地理的範囲についても、需要者の購買行動、輸送費、供給拠点、価格・数量の動き等を踏まえ、日本国内の一部地域、日本全国、場合によっては国境を越える市場を画定し得ます。「当社はグローバルに競争しているから世界市場である」「顧客は全国にいるから全国市場である」といった経営上の認識だけでは足りず、需要者が現実にどの供給先へ切り替えられるかを証拠で示す必要があります。 [2]

水平型企業結合について、現行ガイドラインはHHIを用いたセーフハーバーを示しています。企業結合後のHHIが1,500以下、1,500超2,500以下かつHHI増分が250以下、又は2,500超かつHHI増分が150以下であれば、通常、競争を実質的に制限することとなるとは考えられないとされています。しかし、これは「この数値を超えれば違法」「この数値以下なら必ず承認」という二分法ではありません。セーフハーバー外でも競争上問題がない取引は多数存在し、逆にデータ、技術、研究開発能力、潜在的競争等が重要な市場では現在の売上高シェアが小さくても慎重な分析が必要です。過去の審査実績上、企業結合後のHHIが2,500以下かつ当事会社シェアが35%以下の場合には競争制限のおそれが小さいと通常考えられるとの整理もありますが、これも個別審査を不要にする基準ではありません。 [2]

垂直型企業結合では、川上市場で重要な原材料、部品、データ、インフラ等を持つ企業と川下企業が統合することにより、統合後企業が競争者への供給を拒絶・不利化して市場を閉鎖するインセンティブと能力を持つか、あるいは川下の顧客情報等を得ることで競争者の行動を予測しやすくなるかが問題となります。混合型企業結合では、補完商品、バンドル、エコシステム、プラットフォーム等を通じて競争者を排除する可能性や、将来の潜在的競争者を取り込む効果が検討されます。したがって、競争法デューデリジェンスでは、単に同一商品を売っているかを見るのではなく、供給網、販売チャネル、API・データ連携、知財ライセンス、顧客のマルチホーミング、研究開発ロードマップ等まで含めて競争関係を把握する必要があります。

最終的な評価では、当事会社と競争者の地位だけでなく、輸入、新規参入、隣接市場からの競争圧力、需要者の交渉力、当事会社の総合的な事業能力、効率性、経営状況、市場規模等が総合的に考慮されます。ここで重要なのは、企業側の主張が客観的な取引実態と整合していることです。顧客が「他社へ容易に切り替えられる」と主張するなら、実際の入札・見積データ、失注先、切替実績、輸送費、認証期間、設備投資等が説明を裏付ける必要があります。競争法上のストーリーは、法務部門が後から作るものではなく、事業データに耐えられる形で案件初期から検証すべきです。

第4章 競争法デューデリジェンスと証拠戦略――内部文書と経済分析を軽視しない

公取委の企業結合審査では、提出された市場シェア表だけで判断が完結するわけではありません。2026年2月改定の手続対応方針は、市場画定、競争状況、輸入、参入、需要者からの競争圧力等について参考となる資料の例を詳細に示し、取締役会等の会議資料、企業結合の効果を検討・分析した資料、役員・従業員の電子メールその他の内部文書も審査で参照され得ることを前提としています。2025年度に公表された主要11事例でも、3事例で内部文書の提出が求められ、2事例で経済分析結果が紹介されています。企業の社内資料と当局への説明が食い違えば、説明の信用性そのものが問題になります。 [3] [8]

このため、競争法デューデリジェンスでは、契約違反やコンプライアンス違反の有無だけでなく、競争構造を理解するための事実を収集する必要があります。主要顧客別の売上、競合入札・見積の履歴、競争者ごとの勝敗、値上げ時の顧客反応、供給能力、原材料制約、参入コスト、認証・承認に要する期間、代替技術、研究開発パイプライン、事業計画上の競合認識等は、企業結合審査において極めて重要な情報になり得ます。同時に、当事会社が競争者同士である場合、デューデリジェンスの名目で将来価格、顧客別条件、販売戦略、生産能力計画等の競争上機微な非公開情報を無制限に共有することは避けるべきです。必要性に応じて情報を集約・匿名化し、clean teamを設けるなど、取引評価に必要な情報と競争上の独立性を両立させる設計が求められます。

経済分析を用いる場合も、「専門家が作成した」という形式では足りません。イオンとツルハホールディングスの経営統合では、当事会社側が提出した分析について、公取委は推定値の標準誤差が大きく信頼区間も広いとして、その分析結果をそのまま受け入れず、公取委自身が店舗別データ等を検討し、自ら経済分析を行いました。公取委は別途、経済分析報告書等の提出に関する留意事項で、係数だけでなく標準誤差、p値、区間推定等を含む標準的な形式での報告を望ましいとしています。重要案件では、分析手法の選択、データの質、サンプルの変動、頑健性検証、経済的有意性まで含めて、当局から再現可能な形で説明できることが必要です。 [9] [11]

また、競争法対応は「審査開始後に最善の理論を考える」作業ではありません。取引の投資仮説、シナジー資料、取締役会説明資料、投資委員会資料、事業計画及び当局向け提出書面は、目的が異なる文書であるとしても、取引の競争上の位置付けについて根本的に矛盾しないことが望まれます。たとえば投資委員会には「競争者を減らして価格規律を弱める」と説明しながら、公取委には「両社はほとんど競争していない」と説明することは、重大な信用リスクを生みます。案件初期に競争法チームが事業仮説を理解し、言葉遣いではなく事実関係そのものを検証することが重要です。

第5章 2026年企業結合ガイドライン改定案が示す審査の方向性

公取委が2026年7月17日に公表した企業結合ガイドライン改定案は、2019年以来の見直しを企図するものです。もっとも、2026年10月7日時点で、公取委の企業結合ガイドラインの現行掲載ページには令和元年12月17日改定版が掲載されており、2026年案は意見募集を終えた段階の改定案です。本稿でも、以下は将来の正式改定を先取りして現行ルールとして扱うものではなく、公取委が公表した改定案から今後の審査の方向性を読み取るものとして整理します。最終版では文言や適用時期が変更される可能性があるため、実際の案件では最新公表資料を再確認する必要があります。 [7]

改定案の第一の特徴は、供給の安定性及び環境性能を顧客獲得のための競争手段として位置付け、企業結合による効率性向上によって供給の安定性の改善・維持、温室効果ガス削減等の環境性能向上、投資拡大・イノベーション促進による新商品の創出等が実現する場合、競争促進効果として考慮する旨を明記しようとしている点です。これは、サプライチェーン強靱化、脱炭素投資、研究開発投資等を企業結合審査から排除しないことを明確にする方向です。しかし、企業側にとって重要なのは、「経済安全保障に資する」「環境に良い」「イノベーションを促進する」と抽象的に述べることではありません。統合によって何が可能になり、それが取引固有の効果なのか、実現可能性があるか、競争・顧客にどのような便益をもたらすかを、投資計画、設備制約、研究開発ロードマップ、コスト構造、供給実績等によって具体化する必要があります。 [7]

第二の特徴は、時間軸です。改定案は、将来見込まれる市場構造の変化等により一定の時点で輸入圧力が働く場合には長期間の市場の状況を考慮することを明記し、参入、隣接市場からの競争圧力、需要者からの競争圧力、効率性、当事会社の経営状況、市場規模の縮小等についても長期的な市場状況を考慮する方向を示しています。人口減少により市場が縮小し、複数事業者による競争を維持すること自体が困難となる産業、巨額の設備投資を要する産業、技術転換が急速な市場などでは、過去の市場シェアだけでなく、数年後にどの競争構造が現実的に残り得るのかという分析が一層重要になります。 [7]

第三に、改定案は、最近の審査事例や経済安全保障関連の事例集、諸外国のガイドライン案等を踏まえ、関税が存在しても輸入品が競争力を持つ場合、需要者の需要者から間接的な競争圧力が働く場合、購入市場における競争分析等について記載を追加する方向を示しています。企業にとってこれは、競争法分析の射程が狭くなるのではなく、むしろ事実認定が多面的になることを意味します。調達側の市場支配力、サプライヤーへの条件、輸入品の実効的な競争力、顧客の下流市場での競争状況まで含めてデータを用意する必要が生じ得ます。 [7]

なお、この改定案を「国際競争力や公益があれば競争制限的なM&Aも承認される」と読むのは適切ではありません。独占禁止法の判断基準は、あくまで一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなるかどうかです。供給安定性、環境性能、イノベーション等が意味を持つのは、それらが競争手段又は企業結合固有の効率性として、競争促進効果や需要者への便益に結び付く場合です。実務上は、案件の戦略的意義を競争法の語彙へ無理に言い換えるのではなく、競争への具体的な作用機序を証拠とともに示すことが必要です。

第6章 問題解消措置とSPA――承認のために何を受け入れるかを先に決める

当初計画のままでは競争上の懸念がある場合でも、当事会社が適切な問題解消措置を申し出、それによって競争上の問題を解消できるのであれば、取引が実行可能となる場合があります。問題解消措置は、競争上の問題の原因と対応していなければならず、実行可能で、効果を検証できる必要があります。事業や資産の譲渡といった構造的措置のほか、供給・アクセス条件の確保、情報遮断、ライセンスその他の行動的措置が用いられることもありますが、どの類型が適切かは市場構造と懸念の内容によって異なります。

公取委が公表したイオン・ツルハホールディングスの2025年4月の事例及びトヨタ自動車・ダイムラー・トラックによる日野自動車・三菱ふそうの2026年2月の事例では、当事会社の申し出た措置を前提として問題なしと判断されています。2025年度に審査を終了した案件のうち5件も、問題解消措置を前提とする判断でした。問題解消措置は審査書面への付記ではなく、取引の内容や実行後の事業運営を変え得る条件です。必要となる場合にはモニタリング・トラスティーその他の監視方法を含め、報告・監督・違反時の是正とその費用まで契約に反映すべきです。 [10] [12] [14]

SPAの競争法条項は、こうした実務を反映して設計すべきです。買主が「合理的努力」を尽くすという抽象条項だけでは、当局から対象事業の一部売却を求められた場合や、買主の既存事業に対する措置を求められた場合に紛争が生じます。売主は取引確実性を高めたい一方、買主は買収の投資仮説を破壊する措置まで負担したくありません。そこで、事業売却の範囲、売上高・EBITDA・企業価値等に基づく上限、特定の重要資産・地域・事業の除外、行動的措置の期間、訴訟・不服申立てを行う義務の有無等を、案件の競争法リスクに応じて明確化することが考えられます。

クロージング前の運営条項にも注意が必要です。売主が通常の事業運営を継続し、買主が価値保全のために一定事項へ同意権を持つこと自体はM&A契約で一般的ですが、競争者同士の取引では、買主がクロージング前に対象会社の価格、顧客、供給量、研究開発その他の競争上の意思決定を実質的に支配するような運用を避ける必要があります。届出対象取引については法定禁止期間中に取引そのものを実行できないことに加え、競争上機微な情報の不要な共有や事実上の統合は、企業結合届出とは別の独占禁止法上の問題を生じ得ます。契約上の保護と競争上の独立性を両立させるため、承認権限、情報共有経路、clean team、PMI準備の範囲を具体的に設計することが重要です。

第7章 クロスボーダーM&Aでは企業結合審査をグローバルに統合する

大型M&Aでは、日本だけを見て企業結合審査を進めることはできません。米国、EU、英国、中国、韓国その他の法域で届出・審査が必要となる場合、各国で売上高・資産・取引価値等の基準、届出時期、禁止期間、資料要求、審査理論及び問題解消措置の考え方が異なります。ある法域で承認を得ても、別の法域で審査が継続すればクロージングできないことがあり、一国の当局と合意した問題解消措置が他国の事業やグローバルな製品供給へ影響することもあります。したがって、案件初期に全法域の届出要否を一枚のマップにし、最も遅い審査、最も厳しい可能性のある法域、提出する市場定義・競争理論の整合性を把握する必要があります。

日本の公取委も、必要に応じて海外競争当局との情報交換を行いながら審査を進めています。2025年度に公表された主要企業結合事例では、海外競争当局と情報交換を行った事例が含まれています。クロスボーダー案件では、各国法律事務所がそれぞれ独立に書面を作成するのではなく、グローバルな事実関係、市場シェア、顧客区分、競争者、事業計画及び効率性の説明を中央で管理し、法域ごとの法的枠組みに合わせて調整する方が、矛盾と審査遅延を減らしやすくなります。特に経営陣の説明、投資家向け資料、規制当局への提出書面が複数言語・複数法域に分かれる案件では、事実の一貫性を確保するレビュー体制が重要です。

取締役会及び投資委員会に提示すべき結論も、「届出が必要」「承認見込みが高い」という二値的なものではありません。案件のどの部分が競争上の論点となり、どの資料が必要で、審査期間がどの程度取引スケジュールを左右し、問題解消措置が生じた場合にどの事業価値が失われる可能性があるのかを、シナリオとして示す必要があります。特に、売主が競争法上の負担を買主へ強く求めるオークションでは、競争法リスクを正確に価格へ反映できること自体が競争力になります。

企業結合審査の本質は、規制当局から許可証を受け取ることではなく、取引後にも市場で有効な競争が残ることを、事実、データ、経済分析及び実行可能な措置によって説明することにあります。企業が案件形成の初期から競争法分析を行い、デューデリジェンス、内部文書、契約条件、問題解消措置、PMI及び海外審査を一つの設計図の下で管理できれば、審査対応は単なる防御ではなく、取引確実性と経営判断の質を高めるプロセスになります。2026年のガイドライン改定案が示す長期的・動態的な競争評価の方向性を踏まえると、今後はなおさら、現在の市場シェアだけではなく、将来の競争構造と企業結合固有の価値創出を具体的に説明できる案件設計が求められると考えられます。

FAQ

Q1 どのようなM&Aで公正取引委員会への企業結合届出が必要ですか。

株式取得、合併、会社分割、共同株式移転、事業譲受け等について、独占禁止法上の行為類型ごとの国内売上高その他の基準を満たす場合に事前届出が必要です。株式取得では、買収者側企業結合集団の国内売上高合計額が200億円超、対象会社側が50億円超で、取得後の議決権保有割合が新たに20%又は50%の基準を超える場合が中心です。取引ストラクチャーごとに基準が異なるため、具体的な案件で個別確認が必要です。 [4] [5]

Q2 株式を20%取得すれば、必ず企業結合届出が必要ですか。

いいえ。議決権割合だけで決まるものではなく、国内売上高基準等も満たす必要があります。また、届出制度上の20%・50%基準と、企業結合ガイドライン上、結合関係が形成・強化されるかという実体判断は同一ではありません。少数持分取得でも、株主間関係、役員兼任、業務提携等を踏まえて競争への影響が問題となることがあります。

Q3 日本での売上高が小さい海外スタートアップの買収なら、日本の独禁法対応は不要ですか。

必ずしもそうではありません。届出基準を満たさなくても、企業結合が国内競争へ影響する場合には公取委が審査することがあります。対象会社の国内売上高等に係る届出基準を満たさないため届出を要しない取引のうち、買収対価が400億円を超え、対象会社が国内に事業・研究開発拠点を有する、日本向け営業を行う、又は国内売上高が1億円を超えるなどの事情がある場合には、公取委への相談が望まれるとする手続方針があります。 [3]

Q4 届出後は必ず30日間クロージングできないのですか。

届出対象取引は、原則として届出受理の日から30日を経過するまで実行できません。ただし、独占禁止法上問題がないことが明らかで、当事会社が書面で申し出る場合などには、公取委が禁止期間を短縮する運用があります。取引日程上短縮が必要な場合でも、短縮を当然の前提とせず、資料準備と相談時期を含めて余裕を持ったスケジュールを組むことが重要です。 [3]

Q5 第2次審査に移行すると、取引は承認されないという意味ですか。

いいえ。第2次審査は、より詳細な情報・資料に基づく検討が必要であることを意味し、それ自体が禁止の結論を示すものではありません。2025年11月に届出されたプライムポリマーによる住友化学の対象事業の吸収分割は第2次審査へ移行しましたが、2026年4月に競争を実質的に制限することとはならないとして審査が終了しています。 [13]

Q6 HHIのセーフハーバーに入れば、自動的に問題なしになりますか。

セーフハーバーに該当する場合、通常、競争を実質的に制限することとなるとは考えられないという重要な目安になりますが、企業結合審査は個別事案の実態に基づいて行われます。特にデータ、知的財産、研究開発、潜在的競争、プラットフォーム等が重要な市場では、現在の市場シェアやHHIだけでは競争上の重要性を十分に表さないことがあります。 [2]

Q7 競争者同士のM&Aでは、デューデリジェンスで顧客別価格や将来計画を共有してもよいですか。

取引評価に必要な情報取得は重要ですが、競争者間で競争上機微な非公開情報を不必要に共有することは避けるべきです。顧客別条件、将来価格、販売戦略、生産能力計画等については、必要性を検討し、集約・匿名化、外部専門家又はclean teamによる限定アクセス等を利用することが考えられます。契約締結後もクロージングまでは当事会社の競争上の独立性を維持する必要があります。

Q8 企業結合審査で問題がある場合、どのような問題解消措置がありますか。

競争上の問題の原因に応じて、事業・資産の譲渡等の構造的措置、供給・アクセス条件の確保、情報遮断、ライセンスその他の行動的措置等が検討されます。措置は実効性と実施可能性が必要で、案件によってはモニタリング・トラスティーが履行状況を監視します。SPAでは、どの程度の措置まで買主が受け入れる義務を負うかを事前に設計することが重要です。

Q9 2026年の企業結合ガイドライン改定案は、既に適用されているのですか。

2026年10月7日時点では、公取委が7月17日に公表した文書は改定案であり、意見募集は8月31日に終了していますが、現行ガイドライン掲載ページでは2019年12月17日改定版が現行版として掲載されています。したがって、改定案の内容を現行法上の確定ルールとして扱うべきではありません。具体的案件では、最終改定の有無と適用時期を必ず最新の公表資料で確認する必要があります。 [7]

Q10 2026年改定案では、供給安定性や環境性能が高ければ競争制限的なM&Aも認められますか。

そのような一般的な公益免除を設ける改定案ではありません。改定案は、供給安定性、環境性能、投資拡大・イノベーション、新商品創出等が企業結合による効率性向上を通じて実現する場合に、競争促進効果として考慮する方向を示しています。取引固有性、実現可能性、競争・需要者への便益を具体的な証拠で説明することが重要です。 [7]

Q11 クロスボーダーM&Aでは、日本の企業結合届出だけ先に進めてもよいですか。

法域ごとの手続は独立していますが、実務上はグローバルに統合して管理することが重要です。各国で市場定義、競争者、市場シェア、効率性、問題解消措置の説明が矛盾すると審査を複雑化させます。届出要否、提出時期、最も遅い審査、当局間の情報交換、グローバルな問題解消措置の影響を一体として管理し、SPAのlong-stop dateや規制条項にも反映する必要があります。

代表弁護士 道下剣志郎「Legal Update」について

SAKURA法律事務所の「Legal Update」は、代表弁護士 道下剣志郎が、企業法務、M&A・Private Equity、国際取引・紛争、金融規制・資本市場、AI・テクノロジー、データ保護、Web3、危機管理その他の企業活動に重要な法的テーマについて、法令、裁判例、行政資料、取引所規則その他の一次資料を基礎として、経営判断と実務に接続する形で継続的に解説するシリーズです。

代表弁護士 道下剣志郎のプロフィール及びSAKURA法律事務所の取扱分野については、代表弁護士 道下剣志郎 プロフィール、ならびにSAKURA法律事務所 公式サイトをご参照ください。

SAKURA法律事務所に相談できる事項

SAKURA法律事務所では、国内・クロスボーダーM&Aについて、企業結合届出の要否判定、競争関係の分析、競争法デューデリジェンス、公正取引委員会への届出前相談・正式届出、追加報告等への対応、海外法律事務所との企業結合審査の調整、問題解消措置の設計及び取引契約への反映まで、案件の進行に沿って検討することができます。特に、同業再編、PEファンドによる投資、デジタル・テクノロジー企業の買収、垂直統合、複数国届出を伴う案件では、企業結合審査をM&A契約や取引スケジュールから切り離さずに設計することが重要です。

買主側では、初期的な競争法リスクのスクリーニング、届出法域のマッピング、対象会社から取得すべき市場・顧客・競争者データの特定、clean teamを含む情報管理、SPAのregulatory covenant、問題解消措置の受入範囲、long-stop date、クロージング条件及びPMI準備の設計が問題になります。売主側では、競争法リスクを含む買主の取引確実性の評価、オークションにおける条件比較、当局対応への協力義務、買主が承認取得のために負うべき義務の水準、規制審査長期化時の解除・延長条件等を慎重に設計する必要があります。

また、企業結合審査で競争上の懸念が指摘された場合には、競争理論の再検証、顧客・競争者・輸入・参入に関する証拠の整理、経済分析、当局との対話、事業譲渡・アクセス確保・情報遮断その他の問題解消措置、モニタリング体制までを一体として検討する必要があります。取締役会・投資委員会向けのリスク整理から、契約締結前の予防的な設計、届出・審査、クロージング後の問題解消措置履行まで、案件段階に応じた法的検討が重要です。

お問い合わせ

SAKURA法律事務所

〒106-0032 東京都港区六本木一丁目4番5号 アークヒルズサウスタワー4F

代表弁護士 道下剣志郎

公式サイト | 道下剣志郎プロフィール | お問い合わせフォーム

主な参考資料

本文中の参照番号は以下の資料に対応します。法令、取引所規則、裁判例、行政指針及び実務上の提言は、法的性質を区別して参照してください。

1. e-Gov法令検索|私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)

2. 公正取引委員会|企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針(2019年12月17日改定版)

3. 公正取引委員会|企業結合審査の手続に関する対応方針(2026年2月2日改定)

4. 公正取引委員会|株式取得の届出制度

5. 公正取引委員会|合併の届出制度

6. 公正取引委員会|企業結合審査ガイドブック(公式掲載ページ)

7. 公正取引委員会|企業結合ガイドライン改定案の意見募集(2026年7月17日。分析基準日現在は改定案として参照)

8. 公正取引委員会|令和7年度における企業結合事例集・企業結合届出等の状況(2026年6月24日)

9. 公正取引委員会|経済分析報告書及び経済分析等に用いるデータ等の提出についての留意事項

10. 公正取引委員会|イオン・ツルハホールディングスの経営統合に関する審査結果(2025年4月30日)

11. 公正取引委員会|イオン・ツルハ案件の経済分析に関する別紙(2025年4月30日、PDF)

12. 公正取引委員会|トヨタ自動車・ダイムラー・トラックによる日野自動車・三菱ふそうの経営統合の審査結果(2026年2月26日)

13. 公正取引委員会|プライムポリマーによる住友化学の対象事業承継の審査結果(2026年4月24日)

14. 公正取引委員会|公表事例において問題解消措置にトラスティが付された例

免責事項

本稿は、2026年10月7日時点で公表されている独占禁止法、公正取引委員会の企業結合ガイドライン、企業結合審査の手続に関する対応方針、審査事例その他の公開情報に基づき、M&Aにおける企業結合審査に関する一般的な情報を提供することを目的として作成したものであり、特定の案件について法的助言又は法律上の結論を示すものではありません。届出の要否、競争上の評価、市場画定、問題解消措置、契約条項その他の判断は、取引ストラクチャー、当事会社グループの範囲、国内売上高、議決権関係、商品・地域、市場構造、顧客・競争者、海外法域の規制その他の個別事情により異なります。

公正取引委員会が2026年7月17日に公表した「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針」改定案は、同年8月31日に意見募集が終了していますが、2026年10月7日時点で公取委の現行ガイドライン掲載ページに掲載されている現行版は令和元年12月17日改定版です。本稿は、2026年改定案を現行法上既に確定・施行されたルールとして扱うものではなく、公表された改定案に基づいて今後の審査実務への示唆を分析しています。最終的な改定内容、適用時期その他は、公取委による今後の公表を確認する必要があります。

また、海外法域の企業結合規制については本稿で網羅的な説明を行っていません。クロスボーダーM&Aでは、各国・地域の届出基準、審査手続、禁止期間、問題解消措置その他の法制度が異なり、制度改正も行われます。具体的な取引を実施する際には、取引時点の最新の法令、ガイドライン、審査実務及び公表資料を確認し、必要に応じて各法域の弁護士その他の専門家と連携して個別に検討する必要があります。

NextPrev