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2026.10.29

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【SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎 Legal Update】企業買収における行動指針と取締役会の実務――真摯な買収提案、企業価値・買収価格、株主意思と2026年公開買付制度【2026年版】について公開いたしました。

LEGAL UPDATE | 第34回

分析基準日:2026年10月7日 | 訂正日:2026年10月20日

SAKURA法律事務所 代表弁護士 道下剣志郎

経済産業省が2023年8月31日に策定した「企業買収における行動指針」は、上場会社の経営支配権を取得する買収について、企業価値・株主共同の利益、株主意思及び透明性を軸とする原則論とベストプラクティスを示しています。これは会社法を改正して取締役に一律の売却義務を課す規範ではありません。他方、法令でないという理由だけで、買収提案の検討過程を説明する際の意味が失われるわけでもありません。対象会社は、法定の義務、上場規則の遵守事項及び実務上望ましい対応を区別し、それらを一つの意思決定過程へ組み込む必要があります。 [1]

買収対応の実務で難しいのは、真摯な提案を真摯に検討するという原則を、実際の選択へ結び付けることです。企業価値を理由に高い価格の提案を拒絶する場合、取締役会は何を説明すべきでしょうか。非拘束的な提案をどこまで調査し、独立継続案とどう比較し、どの段階で特別委員会を用いるべきかも、提案の内容と会社の状況によって異なります。2026年に経済産業省が同指針に関する研究会を再開し、解釈等の補足に向けた意見募集を実施した経緯も、こうした原則の実務への定着が課題となっていることを示しています。本稿は補足文書の逐条解説ではなく、指針の基本構造を取引の意思決定へ接続する実務分析です。 [3] [4]

同時に、2026年5月1日には改正公開買付制度が施行され、市場内取引を含む一定の買付けにより株券等所有割合が30%を超える場合が規制対象となるなど、2023年の指針策定時から法制度も変化しています。公開買付けの要否は、単純な持株比率だけでなく、対象となる取得行為、特別関係者、所有割合の計算及び適用除外等を確認して判断します。買収提案への対応は、行動指針だけで完結せず、会社法上の取締役の義務、金融商品取引法上の規制、東証の企業行動規範、適時開示及びインサイダー情報管理と並行して設計しなければなりません。 [7]

本稿では、指針の項目を順に紹介するのではなく、上場会社が平時からどのような準備を行い、買収提案を受領したときに何を確認し、どのような情報を求め、企業価値と買収価格をどう比較し、特別委員会をいつ用い、最終的に株主へ何を説明すべきかという意思決定の流れに沿って分析します。企業買収への対応で最も危険なのは、買収を受け入れるか拒絶するかという結論を先に置き、その結論に合わせて企業価値や定性的価値を後から組み立てることです。本稿が重視するのは、結論の自由ではなく、企業価値向上と株主共同の利益に照らして比較可能な情報を集め、合理的なプロセスを踏み、株主が評価できる説明を残すことだと理解すべきです。

本稿の要旨

第一に、行動指針は、会社法や金融商品取引法と同じ意味の法令ではありません。取締役の義務は会社法その他の適用法令と個別事情に即して判断される一方、指針は、上場会社の支配権取引について共有されるべき原則論とベストプラクティスを提示します。法令、東証規則及び裁判例と区別して参照することが、形式的な遵守宣言ではなく、取締役会の判断の質を高める前提となります。 [1]

第二に、買収提案を受領した取締役会は、提案を「真摯な買収提案」として検討すべきかを、具体性、目的の正当性及び実現可能性を中心に総合判断します。しかし、これらは入口で提案を排除するための形式的チェックリストではありません。資金調達、デューデリジェンス、競争法・外為法その他の規制対応は交渉の進展に伴って確度が高まる場合があり、初期段階で完全な確実性がないことだけを理由に提案を切り捨てることは適切ではありません。検討を避けるために「真摯」という概念を恣意的に狭めないことが、実務上の重要な留意点です。 [1]

第三に、取締役会は買収に応じるか、スタンド・アローンを維持するか、第三者との提携や別の買収提案を選ぶかについて経営判断上の裁量を有しますが、その裁量は無限定ではありません。実務上は、その裁量を、現状維持を無条件に選択したり、独立継続案の具体化・実行・説明を省略したりできる根拠とすべきではありません。買収者の提示する企業価値向上策と対象会社のスタンド・アローン案等を可能な限り定量的に比較し、定性的な価値を考慮する場合も将来キャッシュフローやリスク、割引率への影響として説明できるかを検証することが重要です。

第四に、買収価格は企業価値と同義ではありませんが、買収後の対象会社の企業価値に対する買収者の評価を示す重要な要素です。相応に高いプレミアムが提示されている場合には、買収による企業価値向上が合理的に期待されることを示す重要な事情となり得ます。複数の真摯な買収提案が競合する場合にも、価格だけで機械的に決めるものではない一方、より低い価格の提案やスタンド・アローンを選択するのであれば、なぜそれが中長期的な企業価値に資するのかを株主が評価できるだけの説得的な説明が必要です。最終的な買収の成否は株主の合理的な意思に委ねられるという第2原則を、取締役会の裁量と矛盾なく実装することが2026年実務の核心です。

第1章 行動指針の位置付け――法定義務とベストプラクティスを区別する

2023年の「企業買収における行動指針」は、上場会社の経営支配権を取得する買収を主な対象として、第一に企業価値・株主共同の利益、第二に株主意思、第三に透明性という三つの原則を提示しました。その射程は、経営陣から要請を受けた友好的買収に限られず、経営陣から要請や打診がない段階で行われる買収提案も含みます。また、現金による株式取得だけでなく、株式対価の取得、合併、株式交換、株式交付等の組織再編も、経営支配権取得という実質に応じて対象となり得ます。したがって、「同意なき買収だけの指針」でも「TOBだけの指針」でもありません。 [1]

行動指針の原則とベストプラクティスを参照する際には、望ましい対応が示されていることと、その対応をしなければ直ちに法律違反となることを区別しなければなりません。検討対象となる提案の性質、取締役の利益相反、提供された情報、検討時間、採り得る代替案は案件ごとに異なります。会社法上の義務の評価はこれらの事実に即して行うべきであり、指針上の推奨対応を一律の法定要件へ変換することも、法令でないことを理由に合理的な検討を省くことも適切ではありません。 [1]

会社法上、取締役は会社に対して善管注意義務・忠実義務を負い、具体的な経営判断については事案に応じた裁量が認められます。他方、支配権移動を伴う買収では、会社の事業価値だけでなく株主が保有株式をどの条件で売却できるかという株主利益が直接問題となります。行動指針は、この局面で会社法上の義務の外延を新たに定めるのではなく、企業価値と株主共同の利益を確保するために取締役会がどのようなプロセスを踏むことが望ましいかを示すものです。したがって、取締役会議事録や適時開示で「行動指針に従った」という結論だけを記載するのではなく、どの情報に基づき、どの代替案と比較し、どのように利害関係を管理し、株主に何を説明したかが重要になります。 [5]

さらに、2026年5月1日施行の改正公開買付制度により、市場内取引を含む一定の取得行為にも30%基準の規律が及ぶようになりました。2023年の指針に含まれる当時の法制度を前提とした説明を、現在の取得行為へそのまま当てはめることはできません。買収対応では、取引時点の金融商品取引法令を起点に、公開買付け、大量保有報告、外為法、競争法、適時開示及び情報管理の工程を並行して確認する必要があります。 [7]

第2章 平時の企業価値向上が買収対応の出発点となる――「有事になってから企業価値を語る」ことの限界

買収対応で最初に検討すべきなのは、買収提案を受けた後の防御ではなく、平時における企業価値向上です。これは単なる理念ではありません。企業が平時から経営戦略、資本配分、事業ポートフォリオ、収益性、資本コスト、成長投資について自ら検証し、市場との対話を通じてその考え方を説明していれば、買収提案を受領した際に、買収者の提案と自社のスタンド・アローン案を比較する基準が既に存在します。逆に、平時には低い資本効率や過剰資産を放置し、買収提案が届いた後になって抽象的な長期価値を持ち出す対応は、株主にとって説得力を持ちにくくなります。

実務上、平時から準備すべきなのは、いわゆる買収防衛策そのものではありません。取締役会が自社の本源的価値と市場評価の差を理解し、経営計画の前提、事業ごとの収益性、将来キャッシュフロー、資本コスト、非中核資産、政策保有株式、M&A・事業売却の選択肢等を定期的に検証することが先にあります。株価が自社の想定する価値を大きく下回っているのであれば、なぜ差が存在するのかを分析し、必要な経営施策や情報開示を行うべきです。この蓄積がなければ、買収者がプレミアム付き価格を提示したときに「企業価値はもっと高い」と主張しても、その根拠を短期間で作ることになります。

また、「平時」と「有事」の境界を形式的に捉えるべきではありません。公表済みの正式提案書が届いていなくても、対象会社が具体的な買収可能性を認識している場合には、買収対応の局面に入っていると評価すべき場合があります。その時点から、情報管理、取締役の利益相反確認、外部アドバイザーの起用、インサイダー情報の管理、適時開示の検討、買収者との連絡窓口の一本化等が必要になることがあります。買収者との接触を一部の経営陣だけで処理し、取締役会への共有を遅らせることは、後のプロセスの公正性や説明責任を損なうおそれがあります。

したがって、上場会社は平時から買収対応のプレイブックを用意しておくことが望まれます。ただし、その目的は特定の買収者を排除することではなく、提案が届いたときに、誰が受領し、誰へ報告し、どの情報を直ちに確認し、いつ取締役会を招集し、どの段階で外部専門家を起用し、特別委員会の要否を判断し、対外公表を検討するかを事前に定めることです。平時の企業価値向上策と有事のプロセス設計を一体化することで、経営陣の保身ではなく企業価値に基づく判断を行いやすくなります。

第3章 「真摯な買収提案」をどう見極めるか――入口審査は拒絶のための道具ではない

取締役会が買収提案を受領したとき、最初に問題となるのは、その提案をどの程度の深さで検討すべきかです。2023年指針は、具体性、目的の正当性及び実現可能性が合理的に疑われる場合には「真摯な買収提案」に当たらないと判断し得るとしました。この枠組みを運用する際には、取締役会が「真摯な買収提案」を恣意的に狭く解釈し、企業価値を高める可能性のある提案の検討を避けないようにすることが重要です。したがって、入口での評価は、経営陣が好まない提案を排除するためのゲートではなく、検討に投入すべき時間と情報の程度を合理的に判断するための手続です。 [1]

具体性については、買収のストラクチャー、対価の種類と水準、対象範囲、主要条件、想定スケジュール等がどの程度示されているかが問題となります。もっとも、初期的な非拘束提案では、デューデリジェンスを経なければ最終条件を確定できないことが通常です。提案が初期段階であることと、真摯でないことは同義ではありません。取締役会は、現時点で欠けている情報が何であり、それが後続の情報提供・DD・交渉によって合理的に補完可能かを区別して考える必要があります。

目的の正当性では、買収後の経営方針や事業運営について合理的な説明があるか、単に株価を刺激することや競合他社の機密情報を取得すること自体が目的となっていないか等が問題となります。ただし、買収者が対象会社と異なる事業戦略を持っていることや、経営陣の交代を想定していることだけで目的が不当になるわけではありません。支配権市場の機能には、現経営陣とは異なる経営戦略を提示し、株主に選択肢を与えることも含まれます。対象会社は、買収後の戦略を自社の戦略と比較し、企業価値への影響を具体的に検証すべきです。

実現可能性では、買収資金、資金調達の裏付け、競争法・外為法その他の許認可、株主構成、取引実行条件等を確認します。しかし、ここでも初期段階で100%の確実性を求めることは現実的ではありません。DDを経て金融機関のコミットメントが具体化することも、規制当局との協議を通じて問題解消措置が設計されることもあります。重要なのは、提案時点で合理的な実現可能性があるか、残る不確実性が何か、それを低減するために買収者へどのような情報・確約を求めるかです。提案を真摯に検討することと、直ちに賛同することは全く別の判断です。

第4章 真摯な検討の実務――価格を見るだけでなく、買収後とスタンド・アローンを同じ物差しで比較する

真摯な買収提案と判断した後、取締役会に求められるのは、単にプレミアム率を見て賛否を決めることでも、買収者に大量の質問を送り続けて時間を稼ぐことでもありません。買収に応じた場合と、スタンド・アローン又は他の戦略的選択肢を採った場合の企業価値を、できる限り同じ時間軸・同じリスク認識の下で比較することが中心となります。買収価格、買収後の経営方針、シナジー、事業ポートフォリオ、資金調達、買収ストラクチャー、対象会社資産を買収資金へ利用する予定、従業員・取引先・顧客への影響、規制上の実行可能性等を総合的に検討する必要があります。

この比較では、対象会社のスタンド・アローン案も厳しく検証されなければなりません。経営計画の達成確率、追加投資の必要性、実行に要する時間、競争環境、事業撤退・再編の可能性、資本コスト等を織り込み、将来キャッシュフローの割引現在価値として比較可能な形にすることが望まれます。買収提案を受けた後に初めて強気の計画を作り、達成実績や資本コストとの整合を検証しないまま「独立維持の方が企業価値は高い」と結論付ければ、株主からは経営陣の地位維持のための数字ではないかと疑われます。過去の経営実績と、今後の企業価値向上策へのコミットメントも説明の重要な要素となります。

定性的な価値を考慮すること自体は否定されません。ブランド、研究開発力、人材、顧客との信頼、中立性、サプライチェーン、データ、知的財産、地域との関係等が買収によって毀損される可能性は、企業価値に実際に影響し得ます。しかし、測定しにくいという理由だけでこれらを「企業価値」と呼び、価格との比較を回避することは適切ではありません。本稿では、こうした要素が将来キャッシュフロー、リスク又は割引率にどのような影響を与えるのかを可能な限り定量化し、定量化が難しい場合にも具体的に説明する実務を重視します。割引率を恣意的に操作したり、測定困難な価値を保身の道具としたりしてはならないという点は明確です。

情報提供・DDの扱いも同じ考え方に立ちます。対象会社は、営業秘密、個人情報、競争法上の懸念、既存契約上の守秘義務等を踏まえて情報の範囲を管理する必要がありますが、買収者の検討を事実上不可能にする目的で必要な情報を一律に遮断すべきではありません。クリーンチーム、段階的開示、外部専門家限定のデータルーム、競争上センシティブな情報のマスキング等を用いれば、保護すべき利益と真摯な検討を両立できる場合があります。どの情報をなぜ提供しなかったかも、後にプロセスの合理性を評価する重要な記録となります。

第5章 企業価値と買収価格――高い価格は無視できないが、最高値を選ぶだけでもない

企業価値と買収価格の関係は、買収対応で最も誤解されやすい点の一つです。行動指針の企業価値・株主共同の利益という観点は、提示価格だけを唯一の尺度とするものではありません。他方、買収価格は、買収者が取得後に実現できる価値、負担できるリスク及び取引条件についてどのような評価をしているかを示す重要な情報です。相応のプレミアムが提示されている場合には、その評価を裏付ける事業計画・資金調達・シナジー等を検証し、独立継続案と比較する必要があります。高い価格だけから企業価値向上を確定することも、価格を企業価値と無関係として退けることも適切ではありません。 [1]

したがって、「企業価値は価格では測れない」という一言でプレミアム付き提案を退けることはできません。たとえば、買収によって重要な取引先を失う、規制上の制約が生じる、優秀な人材が大量に流出する、技術開発力が損なわれるといった事情があるのであれば、それらが企業価値へ与える影響を具体的に検討しなければなりません。逆に、買収者の資金力、グローバル販売網、技術、ブランド、調達力等によるシナジーが大きいのであれば、それも買収後の企業価値を高める要素として正面から評価すべきです。買収価格を軽視することも、価格だけを見ることも、いずれも指針の趣旨から外れます。

複数の真摯な買収提案がある場合、実務はさらに難しくなります。一般に、全部買収を前提とする提案で企業価値と買収価格が対応している限り、企業価値をより高める提案とより高い価格を提示する提案は一致することが多いと考えられます。しかし、実行確度、規制リスク、対価の種類、条件、クロージングまでの期間、買収後の価値毀損リスク等によっては、単純な名目価格だけでは比較できません。株式対価であれば、買収者株式の価値や流動性、為替、将来の持分希薄化等も考慮する必要があります。

最高値ではない提案やスタンド・アローンを選択する余地が完全に否定されるわけではありません。しかし、その場合には説明責任が重くなります。なぜより高い価格が示す価値評価を上回る企業価値を別の選択肢で実現できると考えるのか、実現までにどの程度の時間とリスクを要するのか、経営陣は何をコミットするのかを具体的に示す必要があります。経営判断上の裁量を、現状維持を無条件に選べるという意味に理解すべきではありません。

第6章 特別委員会と取締役会――独立性を「設置した事実」ではなく意思決定の質に変える

通常の独立第三者による買収提案では、MBOや支配株主による従属会社の買収のような構造的利益相反が常に存在するわけではありません。そのため、すべての買収提案について特別委員会を設置することが一律に要求されるものではありません。特別委員会の必要性は、利益相反の程度、取締役会の独立性を補完する必要性及び市場への説明責任の高さを踏まえて個別に検討すべきです。独立社外取締役が取締役会の過半数を占める会社では、別途特別委員会を設ける意義が相対的に小さくなる場合もあります。

一方、全部買収・キャッシュアウトの提案で価格・条件の適正さが一般株主にとって特に重要な場合、買収への対応方針又は対抗措置の利用を検討する場合、複数の公知の買収提案が競合する場合、企業価値と買収価格が見合わないとしてスタンド・アローンを選ぶ場合、最高値ではない提案の選択を検討する場合等は、市場に対する説明責任が高く、特別委員会の活用が有用になり得ます。ここでは、経営陣自身の地位に影響が及ぶ可能性があることから、独立した視点で前提を検証し、プロセスへの信頼を高める意味があります。

ただし、特別委員会を設置した事実だけでプロセスが公正になるわけではありません。委員の独立性と専門性、設置時期、付与された権限、独立した法務・財務アドバイザーへのアクセス、必要な情報と時間、経営陣の前提を検証できるか、代替案を比較できるかが重要です。取締役会が結論を先に決め、特別委員会に追認だけを求めるのであれば、公正性担保措置としての意味は弱くなります。議事録や答申書には、結論だけでなく、主要な争点、追加情報の要求、評価の変化、少数意見等を適切に記録することが望まれます。

MBOや支配株主による完全子会社化については、これとは別に、東京証券取引所の企業行動規範上、一般株主にとって公正なものであることに関して特別委員会の意見を取得すること等が求められる場面があります。第31回Legal Updateで扱った構造的利益相反取引と、独立第三者による通常の買収提案を混同してはいけません。特別委員会は万能の形式要件ではなく、当該案件の利益相反・情報非対称・説明責任に応じて、取締役会の判断の独立性と質を実質的に高めるために設計すべきです。 [11]

第7章 株主意思・TOB・対抗措置――「賛同しないこと」と「株主の選択肢を奪うこと」は別問題である

行動指針の第2原則は、会社の経営支配権に関わる事項について株主の合理的な意思に依拠すべきとしています。取締役会は買収に賛同するか否かについて経営判断を行い、株主に推奨を示すことができますが、最終的に公開買付けへ応募するか、株主総会でどの選択をするかは株主が判断するという基本構造があります。取締役会が支持しないという判断と、株主がどの提案を選択するかは、区別して考える必要があります。したがって、取締役会が「賛同しない」と判断することと、買収者による提案を物理的・法的に阻止することは別の問題です。 [1]

2026年5月1日施行の改正公開買付制度によって、支配権取得を巡る手続の透明性は一段と高まりました。市場内取引を含む一定の買付けで30%を超える場合に公開買付けが必要となり、公開買付届出書や対象者意見表明報告書等を通じた情報提供の重要性も増しています。対象会社は、公開買付けの法定スケジュール、質問権・回答報告書、意見表明、適時開示、インサイダー情報管理等を前提として、取締役会・特別委員会の検討日程を逆算する必要があります。検討のために必要な時間を確保することと、株主の判断を不当に遅らせることを区別しなければなりません。 [7]

買収への対応方針や対抗措置を導入・発動する場合には、さらに慎重な分析が必要です。東京証券取引所の上場規程第440条は、買収への対応方針について、開示の十分性、発動・廃止条件の透明性、流通市場への影響、株主の権利の尊重を求めています。東証は、導入の決定・開示前に十分な時間的余裕をもって事前相談するよう求めており、遵守事項に反すると認める旨の公表や、事案によっては上場廃止の問題にもつながり得ます。対抗措置は、単に取締役会が企業価値毀損を主張すれば正当化されるものではありません。 [8] [9] [10]

実務上の到達点は、買収を「受けるか守るか」という二択ではありません。取締役会は、提案を真摯に評価し、必要な場合には条件改善の交渉を行い、他の提案やスタンド・アローンも比較し、その判断根拠を株主が評価できる形で示します。買収に応じないなら、比較した企業価値向上策を実行し、中長期的に買収によって想定された企業価値を超えることが期待されます。買収に応じるなら、より良い条件を引き出す交渉と、株主が十分な情報と時間をもって判断できる環境整備が重要です。平時からこの意思決定能力を備えることが、2026年の企業買収実務における最も重要なガバナンスです。

FAQ

Q1 「企業買収における行動指針」は法律ですか。

いいえ。経済産業省が2023年に策定した、上場会社の支配権取引に関する原則論とベストプラクティスです。会社法や金融商品取引法、東証の遵守事項と区別して参照します。望ましい実務を示すことと、あらゆる案件で同一の対応が法律上義務付けられることは異なりますが、法令でないことを理由に合理的な提案検討を省略すべきではありません。 [1]

Q2 経営陣が要請していない買収提案にも「企業買収における行動指針」は適用されますか。

はい。指針は、経営陣から要請や打診がない中で行われる買収提案も対象としています。いわゆる同意なき買収だけを対象とするものではなく、上場会社の経営支配権を取得する買収一般について原則とベストプラクティスを示すものです。 [1]

Q3 「真摯な買収提案」とは何ですか。

具体性、目的の正当性及び実現可能性等を総合考慮して、企業価値向上の可能性を真剣に検討すべき提案かを判断します。もっとも、これらは形式的な足切り要件ではなく、取締役会が恣意的に解釈して検討を避けることは適切ではありません。非拘束提案でも、DDや資金調達交渉、規制対応によって具体性・実現可能性が高まる場合があります。 [1]

Q4 資金調達が完全にコミットされていない提案は検討しなくてよいですか。

一概にはいえません。資金調達の裏付けは実現可能性を判断する重要な要素ですが、初期段階ではDDや金融機関との交渉を経て確度が高まることがあります。現時点の資金調達状況、買収者の資力、今後の調達プロセス、条件等を確認し、合理的な実現可能性があるかを判断する必要があります。

Q5 取締役会は最も高い買収価格を提示した提案を必ず選ばなければなりませんか。

一律に最高価格を選ぶ法的義務が示されたわけではありません。取締役会は企業価値・株主共同の利益の観点から、価格に加えて実行確度、規制リスク、対価の性質、買収後の事業運営等を総合的に検討します。ただし、買収価格は買収後の企業価値を示す重要な要素であり、より低い価格の提案やスタンド・アローンを選ぶのであれば、その合理性について特に説得的な説明が必要です。 [1]

Q6 従業員や取引先への影響を理由に買収提案を拒絶できますか。

従業員、取引先、顧客、ブランド、人材、技術等への影響が将来キャッシュフロー、リスク、割引率等を通じて企業価値に影響するのであれば重要な考慮要素となり得ます。しかし、「ステークホルダーを守る」という抽象論だけで株主利益との比較を避けることは適切ではありません。可能な限り企業価値への影響を具体化・定量化し、難しい場合にも説得的に説明する必要があります。

Q7 買収提案を受けたら必ず特別委員会を設置する必要がありますか。

通常の独立第三者による買収提案について一律に必要ではありません。利益相反の程度、取締役会の独立性を補完する必要性、市場に対する説明責任等を踏まえて個別に判断します。他方、全部買収、対抗措置の検討、複数の公知提案、最高価格ではない提案やスタンド・アローンを選択する局面等では、特別委員会が有用となることがあります。MBOや支配株主による完全子会社化では東証規則上の別の要請にも注意が必要です。 [1] [11]

Q8 対象会社は買収者へのデューデリジェンスを拒むことができますか。

営業秘密、個人情報、競争法、既存契約上の守秘義務等に照らして情報提供を制限すべき場合はあります。しかし、真摯な提案の検討を不当に妨げる目的で情報を一律に遮断するのは望ましくありません。クリーンチーム、段階的開示、マスキング、外部専門家限定の閲覧等を用いて、情報保護と提案評価を両立させることが考えられます。

Q9 取締役会が買収提案に反対すれば、買収を止められますか。

反対意見を表明することと買収を阻止することは別です。行動指針は、買収の成否を最終的に決定するのは株主であるという株主意思の原則を掲げています。買収への対応方針や対抗措置を用いる場合には、会社法上の適法性に加え、東証上場規程第440条の開示、透明性、市場への影響、株主の権利尊重等を別途検討する必要があります。 [1] [9]

Q10 2026年5月1日の公開買付制度改正は買収対応にどのような影響がありますか。

改正後は、市場内取引を含む一定の買付けにより株券等所有割合が30%を超える場合に公開買付規制が及ぶなど、支配権取得に関する規制範囲が変更されました。2023年指針のうち旧制度を前提とした記載は、取引時点の現行法令に即して読む必要があります。個別案件では最新の公開買付規制とQ&Aを確認してください。 [7]

Q11 上場会社が平時から準備しておくべきものは何ですか。

買収防衛策の導入を先に検討するのではなく、自社の企業価値、資本コスト、事業ポートフォリオ、成長投資、株価とのギャップを継続的に把握し、取締役会で議論することが出発点です。その上で、提案受領時の報告経路、取締役会招集、利益相反確認、外部アドバイザー、特別委員会の要否、情報管理、適時開示、買収者との連絡窓口等を定めた実務プレイブックを整備しておくことが有用です。

代表弁護士 道下剣志郎「Legal Update」について

SAKURA法律事務所の「Legal Update」は、代表弁護士 道下剣志郎が、企業法務、M&A・Private Equity、コーポレートガバナンス、国際取引・紛争、金融規制・資本市場、AI・テクノロジー、データ保護、Web3、危機管理その他の企業活動に重要な法的テーマについて、法令、裁判例、行政資料、取引所規則その他の一次資料を基礎として、経営判断と実務に接続する形で継続的に解説するシリーズです。

代表弁護士 道下剣志郎のプロフィール及びSAKURA法律事務所の取扱分野については、代表弁護士 道下剣志郎 プロフィール、ならびにSAKURA法律事務所 公式サイトをご参照ください。

SAKURA法律事務所に相談できる事項

SAKURA法律事務所では、上場会社が買収提案を受領した際の初動対応、取締役会の意思決定プロセス、企業価値・買収価格の検討、スタンド・アローン案との比較、買収者との情報交換・デューデリジェンス、秘密保持契約、外部法務・財務アドバイザーの起用、特別委員会の設計、議事録・答申書・適時開示の作成、公開買付けに対する意見表明その他の実務について、会社法、金融商品取引法、東京証券取引所規則及び企業買収における行動指針を横断して検討することができます。

また、同意なき買収、アクティビストによる持分取得・株主提案、複数の買収提案が競合する局面、買収への対応方針・対抗措置、経営権争い、MBO・支配株主取引等では、利益相反管理と株主への説明を取引ストラクチャーと一体で設計する必要があります。特に、取締役会が最高価格ではない提案やスタンド・アローンを選択する場合、又は買収提案に反対する場合には、企業価値の比較、実行可能性、時間価値、リスク及び経営陣のコミットメントを含め、判断の合理性を後から検証できる記録を形成することが重要です。

平時の準備としては、買収対応プレイブック、取締役会・社外取締役への報告体制、インサイダー情報管理、資本政策・事業ポートフォリオの検証、株主・投資家との対話、外部アドバイザー候補の整理等をあらかじめ行うことが考えられます。SAKURA法律事務所では、経営陣、社外取締役、法務、経営企画、財務、IRその他の関係部門と連携し、平時のガバナンスから有事の買収対応までを一体として整理することが可能です。

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主な参考資料

本文中の参照番号は以下の資料に対応します。法令、取引所規則、裁判例、行政指針及び実務上の提言は、法的性質を区別して参照してください。

1. 経済産業省|企業買収における行動指針の策定(2023年8月31日、指針本文・参考英訳の公表ページ)

2. 経済産業省|公正なM&Aの在り方に関する指針の策定(2019年6月28日、原文・参考英訳の公表ページ)

3. 経済産業省|公正な買収の在り方に関する研究会の再開(2026年2月3日)

4. 経済産業省|企業買収における行動指針の解釈等に係る意見募集(2026年6月18日。当時の検討経過を確認する資料)

5. e-Gov法令検索|会社法(平成17年法律第86号)

6. e-Gov法令検索|金融商品取引法(昭和23年法律第25号)

7. 金融庁|令和6年金融商品取引法等改正に係る政令・内閣府令等の公表(2025年7月4日。公開買付制度等の改正は2026年5月1日施行)

8. 東京証券取引所|買収への対応方針に関する基本的な考え方

9. 東京証券取引所|買収への対応方針に関する上場制度の概要(上場規程第440条関係)

10. 東京証券取引所|買収への対応方針に関する注意事項・事前相談

11. 東京証券取引所|MBO等に係る企業行動規範に関する実務上の留意事項等(上場規程第441条関係)

免責事項

本稿は、2026年10月7日時点で公表されている法令、経済産業省の「企業買収における行動指針」及び関連資料、金融庁・東京証券取引所の公表資料その他の公開情報に基づき、上場会社の企業買収対応に関する一般的な情報を提供することを目的として作成したものであり、特定の会社、買収提案、公開買付け、対抗措置その他の案件について法的助言又は法律上の結論を示すものではありません。実際の対応は、提案の内容、株主構成、取締役の利害関係、買収ストラクチャー、上場市場、規制対応その他の個別事情により異なります。

本稿で論じる「企業買収における行動指針」は、会社法や金融商品取引法のような法令そのものではなく、原則論及びベストプラクティスを示す資料です。本稿でこれらを紹介する場合も、会社法上の善管注意義務・忠実義務、金融商品取引法上の公開買付規制・大量保有報告制度、東京証券取引所の上場規則・企業行動規範、裁判例上のルール等とは区別して理解する必要があります。

また、公開買付制度、大量保有報告制度、外為法、競争法、上場規則その他の関連制度は改正される可能性があります。具体的な買収提案への対応、公開買付け、対抗措置の導入・発動、情報開示、株主総会対応等を行う際には、最新の法令、政令・内閣府令、監督指針、Q&A、取引所規則及び公表資料を確認し、必要に応じて専門家へ個別に相談してください。

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